”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

”冬の猿”(62年)

62年の映画で主演はジャン・ギャバンジャン・ポール・ベルモンドと来たら見てない訳はない、、っと思ったら日本で劇場公開されたのは96年になりジャン・ギャバン御大の没後20年を記念して公開されたらしい、、となると今度はこっちが日本にいなかったので見れる訳はない、。

原題は”UN SINGE EN HIVER ”と言ってやはりその通り”冬の猿”だった、。

物語の背景は戦時中、44年、ノルマンディー地方のドーヴィル近郊の小さな港町、ティーグルヴィルから始まる。無類の酒好きで、いつも悪友と飲んだくれていたアルベール(ギャバン)は激しい空襲の最中、避難していた地下室で妻のシュザンヌに”もしこの戦争を生き延びることが出来たら、もう二度と酒は飲まないと誓う”、そして”これが最後の一杯さ”とグラスを飲み干す。

 

 

 

そして15年が経過し同じ場所で夫婦はステラと言う安宿を経営している。そんなある冬の寒い日、アルベールとシュザンヌが営むホテルに1人の客が訪れる。冬のこんな田舎町へふらりとやって来た青年、ガブリエル(ベルモンド)はスペインの闘牛士だと名乗り、酒に溺れて奔放に振舞う。

風変わりなタイトルは、かつて揚子江に出兵していたアルベールが語る中国の言い伝えによるもので冬になると人里に降りてくる迷い猿。アルベールは、ガブリエルがそんな冬の猿に似ていると妻に話す。妻との約束を守って酒を断ち、今は代わりに飴をなめてやり過ごすアルベールは、泥酔して醜態をさらすガブリエルの相手をしてやりながら若き日の自分を思い出し、ふざけてアルベールを”パパ”と呼んでみたりするガブリエルも彼に懐いて行くのだが、、

まあこのガブリエルは良く飲むのだ、、アルベールはその飲みっぷりが若い頃の自分と全く同じなので妙に共感し遂には自分でも禁断のアルコールにどっぷり浸かってしまうのだ。こうなると酔っ払い二人の武勇伝って感じでそりゃ飲んで酔った方が勝ちさ、連日の御乱行で町じゃすっかり有名人、。

アルベールが何をしにこの町へ来たのかは前半戦の終わりころに判ってしまう。でもナンでそうなったのか他に奥さんとか家族はいるのかは最後まで判らない、。監督のアンリ・ヴェルヌイユは彼らの言動の一つ一つを見せながら、男って、女ってこうだよね、と表現してくれる。結婚は忍耐であるということをさりげなく、だが切実に描く。実際、シュザンヌ・フロンが演じるアルベールの妻には女性として共感を禁じ得ない。働き者で世話好きで、いろいろ気を回すことができる。何より夫を大切に思っている。それを身にしみてわかっているアルベールは彼女に向かって、おまえは理想の妻だ、人生をやり直せるとしてもまた一緒になりたいと言うのだが、そのままさらりと”でも、おまえはうるさい”と言い放つ。次に表情も険しく一変させ、一語ずつ区切って念を押すのだ。

本作の素晴らしさは、その後盛大に酔っぱらって大騒ぎした翌日の描写だ。祭りのあとをきっちりと描いている。夫婦というもの、親子、人生をわずか数分間で見せる。それぞれの目的地へ向かう列車の中で、同乗の少女にせがまれてアルベールは“冬の猿”のおはなしを聞かせる。それは少女の父親であるガブリエルにこそ伝わる内容だった。寂しさに共感させる余韻のあるラストシーンは、ギャバンという名優、映画スターの力をしみじみと味わえる。”冬の猿”は、ベルモンドとともにギャバンの背中を見ながら、大人の男について学ぶ作品なのだ。っと”シネマトゥデイ”に感想を書かれた冨永由紀氏が大喝采を送っておられた。

個人的にはリアルタイムで見ていたら恐らく同じような感想を持ったかも知れない、、でももうこの年じゃそんな感性は枯れているし、、開き直ってなんであんだけ飲んでもアル中にならないし身体も壊さないのか不思議だ。

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