”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

”ゴッドファーザー” (72年)

今日は”昭和の日”とか、我ら昭和を生きて来た人間にはやはり”天皇誕生日”と言う呼び方が一般的だったので”昭和の日”と言われても最初ピンと来なかった。あっちのブログで”今日のお題”がこれだったので書き始めて気が付いた。

そして気が付いたら昼から又、ずっとこの映画にハマっていた。性懲りもなくBSNHKで放映していた”ゴッドファーザー”である。

以下は2012年、8年前にYahooに投稿した記事なのだが(”ゴッドファーザーII”の感想記)それをもう一度このHatena Blogへも登場させた、、;

 

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名作と呼ばれる映画の条件とは、、ハリウッドに限らず世の映画には名作、秀作、傑作、佳作、駄作、、、と呼ばれる映画が否応なしに存在する。名作とは“クラシック“と言う総称で括られる場合も多いのだが個人的にはこれは”秀作“に+を付けたようなものかと日頃思っている。

そしてその条件だが、果たして何がどうなら秀作に+が付けられるのだろう。必ずや映画化に際しては書き下ろしなり、別に書かれた原作があったりで本筋を構成する“ストーリー”があるハズだ。そのストーリーを映画用に脚色しカメラ枠に収め、脚本を書いて行く。その場合、既に演じる俳優さんが決まっている場合はそれなりのイメージを持って台本が書けるのだがこれから配役を決める場合はそんな悠長な事は言ってもおれないだろう、。

 

その映画制作のスタート・ラインに立つ頃にこれは成功するか否かがある程度決まってしまうと言っても過言ではない。勿論そこには制作会社の思い入れ、潤沢に資金を準備出来るのかどうか、そして見合った監督を確保出来るのか企画に合った配役は、、とキリがない程の要素が複雑に絡み合って来る。関係者はそんな事は百も承知だがそれでも先のように秀作から駄作まで結果が何段階にも分かれてしまうものだ。誰だってそりゃ最初っから今回は“駄作”を撮ろうなどと考えている輩はいないと思うがこの複雑怪奇な迷路の果てに待っているものは、こりゃもう丁か半かの博打と変わらない。

 

少ない予算で興行的に大成功を収めたとしても映画が全く評価されない場合だってあるし大赤字の映画でも素晴らしい映画だと評価が高いものもある、理想的にはそれなりの大掛かりな予算編成で後世に残るような“秀作+“が映画人の目的、本懐だと考えるのだがハリウッドの場合、年間200本以上が制作されてもオスカーにノミネートされる作品が僅か10本って事はやはりそう簡単に秀作は生まれないって事の証ではないのか。

 

別にそんな事を考えながら毎度映画館に座っていた事はないのだが、昨晩チャンネルを廻していたらもう何回も見ているのだが“ゴッドファーザーII”に辿り着いた。丁度始まったところで出だしだけ見て読書に勤しもう、、としていたのが気が付いたらもう夜中の12時をとっくに過ぎている、結局又、家内に馬鹿にされつつ最後まで見てしまった。この“最初ちょっとだけ“と言うのが曲者だ。やはり”秀作+“になるともう途中で止められない。それはひとえに企画、原作、脚本、演技力、音響効果、カメラワーク、、それら総合的なものが一体となって見る側を引き摺り込むのである。その集大成が素晴らしい映画として胸を打つ、これが”秀作+=名作“なのである。

 

パートIを初めて映画館で見たのは72年だからもう40年も昔だ、、このパートIIはその2年後に封切られたのだがはっきり言って当初はマフィアの内幕ものだし残忍な描写も多く印象としては“フーン、、”と言う感じであった。映像に対する衝撃度は高く映画の完成度にも舌を巻いたものだが年月を経る毎にこの映画に対する評価が上がっていった気がする。20代で見た時の印象とこうしてジジイになってから見てその映画の素晴らしさに改めて気付かされたと言ったらどうだろう、。まあその逆のケースもあるので古い映画を見る場合には昔、惚れた映画でも改めて見る場合には”ガッカリするなよ”と自分に言い聞かせている、、。

 

しかし素晴らしい映画を見た後の満足感ほど心地良いものはない、、余韻を残してバタリと倒れて前後不覚に眠りにつくこりゃもう贅沢の極みである。