”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

古き良きラ・ラ・ランド part 2

ロスアンジェルスの思い出として "part 1" を投稿したのは確か20年の初めだったがそれからもう半年以上が経過してしまった。忘れないうちにと思いつつもうかなり忘れているんじゃなかろうか?

 

 

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1977年に赴任したので映画歴で行くと丁度、シルベスター・スタローンの”ロッキー”が公開された直後でもう初日から大大大ヒットしていた。後にも先にもハリウッドの映画館をぐるりと二回りして入場者が取り巻いていたのを見るのは初体験だった、。日本だと列を作って並んで入場券を買うものだがアメリカじゃ先に入場券を買ってそれから列に並ぶ、、そんな方式はこの時初めて知った。更に並んだ列には此処までは次回の入場OK,そこから後は次の回です、、と表示がされていたっけ、。

 

それにしても流石に映画は本場、その77年から83年まではかなり多くの映画館へ出掛けていた。中でもロス市内の外れに”国際劇場”ってのがあって割と新しい邦画を上映してくれていた。日系の2世、3世も多く居住していたのでかなり大きい小屋だったが毎週末は満席の盛況、お陰で渥美清の”寅さん”シリーズは殆どこの”国際劇場”で見ている。

 

今でも笑っちゃうのは四人家族だったので(会社から住宅手当が出なかった)市内から西へ車で40分程度行ったところへ日系の不動産屋さんのお世話で一軒家を買った。そしたら売り手は買った家の向かい側に住んでいるクックさんと言うおっちゃんでその売り物の家の中にディスプレイとして置いてあったソファやダイニング・テーブルなどをそのまま買ってしまった。

 

そして6年が経過し帰国時する際には同じ不動産屋さんに仲介を頼み売却したんだが最後の最後に判ったのは買主さんはそのクックさんだった、、、無論買った時より高く売った訳だがこれには驚いた。そんなに買い戻したくなるような家じゃないのだが、、それでもこっちには帰国命令が出ていてそんな事はおくびにも出さす売却交渉を進めそのクックさんからお金を貰ったのは帰国前日と言う綱渡りもんだった、。最初に”日本へ帰るので、、”なんて言ってたらそりゃもう足元をすくわれていただろうなぁ~、、。

 

次女はその赴任中に生まれて3歳までは流ちょうに英語を操っていた、それが横浜経由、ブリスベンで高校を終え、横浜へ帰り専門学校へ、その後、就職して数年後に請われてアメリカンとして渡米、、まあ何の因果か今じゃシアトルで子育てに忙しい、。