公開された当時、コレはミュージカルでもないし画面はモノクロで中途半端なサイレントムービー、それにオーストラリアじゃ全く馴染みのない人達ばかりが配役され、監督だってミシェル・アザナヴィシウスと言う聞いたこともない人で主演のジャン・デュジャルダンとかベレニス・ベジョに至ってはそのスペルさえ覚束ない。唯一オーストラリアのテレビで賞賛していたのはポメランツ&ストラットンの二人が毎週公開間際の映画評論をする番組のなかだけだった、。
かく言うワタシはジャン・デュジャルダンは知っていたけど殆どサイレントと聞いて劇場へ駆け付けるのを躊躇していた、、それでもこよなく信頼する評論家お二人が絶賛していたので近所のアート系、独立館へ見に行った記憶がある。
20年に改めて拝見してもその映画の良さはちっとも変わらない。むしろ後年、同じロス・アンジェルスが舞台で”ラ・ラ・ランド”を見ているがストーリーがダブってしまいミュージカルでもないモノクロ画面でも間違いなく素晴らしい構成、演出で肉付け出来るもんだと妙に納得してしまった。
背景は1920年代でサイレント全盛期、絶大なる人気のジョージ・ヴァレンティン(J・デュジャルダン)が凄い。撮影所で辛うじてエキストラの役を掴んでいたペピー・ミラー(B・ベジョ)は偶然にも芸能雑誌記者の目に留まり”彼女はダレ?”って事から雑誌のトップ紙面に出てしまう。
そんなスタートでペピーがジョージに変わりスターダムを一気に駆け上って行く、、時代の変革もあり音の出ないサイレントの主役、ジョージは人気も下降、反対にペピーは頭角を現し立場はすっかり逆転して行くのだ。
この展開は”ラ・ラ・ランド”の二人と同じ、まあセバスチャンは音楽家志望って事でチョイと設定は違うがミアは彼と別れてからどんどん映画界で活躍、認められスターダムをまっしぐらだった。この”アーティスト”では落ちぶれたジョージが実に哀れだ、救いは彼の愛犬、アギー。もう忠実さを通り越して最後には命の恩人になってしまう。
映画の終盤は映画、57年の”めぐり逢い”みたいな展開にもなるがそのサイレント時代を乗り切った二人が”ラ・ラ・ランド”風のダンスで今度は最強のタッグを組んでトーキー時代に於ける成功を予測させて終わる、、無論今度はセリフも音楽もつけて。
まあ90%以上がセリフのない映画で僅かに字幕で会話の内容が判る程度、それでも映画の素晴らしさは全然損なわれていない。これは実に見事だ、。