”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

サー・ショーン・コネリー逝く

遂に恐れていた日が来てしまった。サー・ショーン・コネリーが31日に亡くなった、、90歳の生涯だった。映画では無敵の007初代を演じていたが実社会では不老ではなかった。もうだいぶ前に引退を公表しポルトガルで隠遁生活を送っていたのだが、、悲しい。今夜は飲むぞ、、、

追悼
昨晩入って来たこの訃報は恐らくトニー・カーチス(10年前の2010年9月29日)以来の衝撃的なニュースかも知れない。二人とも全く共通する訳でもないし演じて来た役柄は右と左とまさに正反対だ、、個人的には唯一1950年代後半から60年代初頭にかけて映画館へ通い始めた頃にスクリーンで何度も何度もお目に掛かっていたと言う事くらいだ。

ショーン・コネリーは62年に初めて”007は殺しの番号”(のちに改題されて”ドクター・ノオ”に)忘れもしない東銀座にあった旧東劇の本体じゃなくて横っちょに入り口があった”2番館”で上映されていた。何気なく通り掛かり看板を見たら”007は殺しの番号”上映中と書かれていた。何やらにやけた風情の手書き看板だったがこの邦題に吊られて入ったのが初対面だ。

それ以降”007”シリーズは全部映画館制覇しているがこのジェームス・ボンド役に抜擢される以前の作品も数本見たが端役状態でやはり007役が最初の主演作品って事になるんだろう、。1957年から2003年までの俳優生活で60本以上の作品に出演しているが007役以外で特に好きな作品ベスト・テンをあげるとなると、、;

”丘”(65年)
風とライオン”(75年)
王になろうとした男”(75年)

薔薇の名前”(86年)
アンタッチャブル”(87年)
プレシディオの男たち”(88年)

”レッドオクトーバーを追え!”(90年)
ロシア・ハウス”(91年)
ライジング・サン”(93年)

ザ・ロック”(96年)
エントラップメント”(99年)
小説家を見つけたら”(00年)

ああ~、、10本じゃ収まらなかった、、この中でもやはり”アンタッチャブル”でのジム・マローン役は決して主役ではないのだが妙に印象に残っている。唯一アカデミー賞助演男優賞を受けているのだが、。主役として画面に8割がた出ているより2割程度の出番でこれだけ評価されちまった訳だが、。

最後にこの人の魅力を、、そりゃこんなにハゲが似合うセクシーな男はいない、、と言うらんぷさんのご意見はごもっともだがジイさんがまさか”彼はセクシーでした”とは言えないだろう。ショーン・コネリーはイギリス人と言われそうだが実は立派なスコットランド人だ。その彼のスコットランド訛りが彼独特の最大の魅力だったんではなかろうか?アメリカだとモーガン・フリーマンの声が”ロウーメロウ”で実に魅力的だ、、と言われるが彼の声のトーンがまさにそれに近く特徴ある響きである。メリハリの付いた諭すような口調、007でもそれが魅力だったがあの”アンタッチャブル”での彼のスコットランド訛りが評議会の投票者全員から高い評価を受けたとしても驚かない。

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