”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

40年間世界一周!

こっちのブログに(Hatena)先日”八十日間世界一周”(1957年)を投稿したのであっちに投稿した(Ameba)記事をリブートしてもっと現実的な”40年間世界一周!”にして再投稿してみた。

 

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これは自室最後の飾りものだった世界地図、ちゃんとフレームを付けようと思いホームセンターで焦げ茶色の枠を買って来たのだが枠に入れると右下のニュージーランドが隠れてしまう。上手く枠を切り取ろうとしたら薄いプラスティック製なので割れそうで止めた、。かなり大きいのでもっとしっかりした枠を作らないと余計みすぼらしいので現在どうするか迷いつつ放り出してそのまま壁に貼ってある。

 

まずこの時代設定は1963年10月、生まれて初めてジェットストリームを体験して向かったのはサンフランシスコ経由でニューヨークだった。ゴールデンゲイト・ブリッジを眼下に見た時は感動ものだった。

 

時はJFK暗殺のちょっと前でNYでは世界万博が開かれていた。当時の日本館には美女の誉れ高かった西村亜希子さんが居て我らを笑顔で迎えてくれた、のちに長嶋茂雄選手の奥様に納まっている、、。

 

そのニューヨークから北上する事バスで6時間、プラッツバーグと言う田舎町が次の訪問地、そこでの寄宿舎生活、4年の間に南はフィラデルフィアノースカロライナ辺りまでは出掛けているが他には何処へも行く余裕さえ、金もなかった。長い休みにはひたすらレストランでの皿洗いやバスボーイだった。

 

それから一旦は東京へ戻り数年後には香港経由で一気に南下、ニュージーランドのインバーカーギル(此処は映画、”世界最速のインディアン”、バート・モンローの生誕地)、ダニーデンを経由してクライストチャーチと言う人口より断然羊が多いと言われた町に都合一年、滞在している。同時にアフリカ大陸はナイロビ、ケニヤと皮革製造過程の修行で回りアフリカ大陸の大きさを肌で感じて来た、残念ながらキリマンジャロは遠くに見ただけ、。

 

70年代初めはホテル業に転身、アメリカ中心の巡業でサンフランシスコ、ロスアンジェルス、シカゴ、デンバーニューオリンズ、ダラスにヒューストン、、国境を越えてアカプルコやら遥々リオ・デジャネイロ、戻ってマイアミ、アトランタ、カロライナなどの主要都市を制覇、映画の”グリーン・ブック”を地で行って来た。

 

そしてヨーロッパはアムズテルダムがメインで、コペンハーゲンプラハ、パリ、ロンドン、ミュンヘンデュッセルドルフと来て香港、、となり最後にはオーストラリア大陸へ上陸。ウィットサンディー、シドニーメルボルン、、、で主にブリスベンが居住地になりつい2年前までそのまま居残ってしまった、。最初の10年くらいの間にアセアン諸国は何度なく行き、クアラルンプールやバンコック、マニラ等、、グアムやハワイも何度となく訪れている。

決して本人は移住先として選んだ訳じゃない、、食を得る過程でついぞ仕事があるから住んでいた、の認識だったので永住権は大分後になって取得、別に要らなかったのだが州政府から便宜上持っていてくださいと言われたので有難く頂戴した。

 

見渡してみるとヨーロッパでもイタリアとかスイス、地中海に面した諸国には行く機会が無かったのは実に残念だ。しかし思い返すと何れも”社用”だったのか名所旧跡には行った事がない、って事は007と同じじゃないか?でも誰も殺してないぞ、、。精々町一番のホテルに泊まり美味いモノを食べる、それだけだったのは返す返すも残念だ、、もう今更、長時間機内で窮屈な思いはしたくないし海外巡りも遂に此処までだ、、。かと言って日本男児としては京都も知らずに逝けないなぁ~、、。