”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

”陽のあたる場所”(51年)

原題は”A Place In The Sun"とまさにそのまま、、陽のあたる場所である。長い間、コレは見ていると信じていたのだが始まって10分、、20分が経過しても記憶にある展開にはならない、むしろ全然未開の領域だ。って事は自分じゃ見た積りだったが見ていないって事になる。

主演はモンゴメリー・クリフト、そしてまさに美少女だったエリザベス・テイラー、劇中”私は22歳よ”と言うシャーリー・ウィンタース、監督がジョージ・スティーブンスで2時間2分と最後まで微動だにせず正座して見終わってしまった。

 

f:id:guch63:20210910095529j:plain

 

ストーリー自体はとても単純明快だ。ハイウェイでヒッチハイクをしている青年、ジョージ(M・クリフト)がやっとおんぼろトラックに拾われ、ある街中の工場へやって来る。守衛にいきなり社長のイーストマンに会いたいと申し出るが”あんたね、社長に会うには何年もかかるぜ、、”とつれない返事だ。でも一枚の名刺を差し出すと守衛は慌てて秘書室へ連絡を、その名刺には”この持参者を通すように”と書かれている。

そして社長室、どうやらこのジョージ・イーストマンと言う青年はイーストマン社長の甥にあたるようでこの女性の水着を製作している会社へ来なさいと申し出があったようだと判る。早速、工場内の完成品を箱詰めする部署で働く事になり真面目な勤労者としてせっせと働き始める。

その生産ラインで働く女性がアリス(S・ウィンタース)で二人は”社内恋愛は厳禁”と最初に言われていたにも関わらず親密になってしまう。

こんな出だしでアンジェラ(E・テイラー)の出番は最初にイーストマン邸へ行った時にチョイと顔を見せただけ、、でも当時19歳だった少女は素晴らしかった。我等以上にその美貌に気が付いたジョージだがその如何にも上流社会の令嬢と思えるアンジェラとは住む世界が違い過ぎるしその場では話し掛ける事も出来なかった。

このモンゴメリー・クリフトは1920年生まれなので当時31歳、ジェームス・ディーンは31年生まれなので11歳も差があった。そのジェームスは1955年僅か35歳で事故死、此方のモンゴメリーは1966年にやはり45歳と言う若さで亡くなっている。その二人と唯一共演した事があるのがエリザベス・テイラーで1956年の映画、”ジャイアンツ”で同じジョージ・スティーブンス監督の元、共演を果たした。

映画の方は親密度を増すジョージとアリスの二人、互いに結婚の約束までするのだがジョージの思いは徐々に何回か遭遇する機会のあったアンジェラへ移って行ってしまう。とても身分の違いから叶うものではないと自分には言い聞かせてもアリスの献身的でひたむきな性格からは距離を置き始めるのだ。

そして遂にアリスが妊娠した事を知りジョージは余計に追いつめられた気分に、、そして今度はアンジェラの虜になってしまう。まあ二股をかけた哀れな青年って事になるのだがタイトルの”陽のあたる場所”にはジョージが住む世界ではないと言うお話である。

そしてジョージが思い付くのはアリスが去って行くこと、、そんな思いである日、アリスを誘って湖畔でピクニックを。うん、ちょっと違うかな、アリスの妊娠が判って二人は婚姻届けを出しに役所へ行くのだがその日は休日、嫌がるアリスを説得して明日まで待とうと言いながら湖畔へやって来るんだった。

そこからがこの映画の真骨頂、湖畔で借りたボートに乗って湖へ漕ぎ始める二人、そのボートで口論になりアリスが立ち上がった途端にボートが転覆、二人は湖に投げ出されてしまうのだ。そしてラストの30分は法廷でのやり取りに、、検察官が素早く動き二人の秘密の関係はあっと言う間に暴露されボート屋の証人やら湖畔でキャンプをしていた若者たちの証言でジョージの身柄はすぐに確保されてしまう。

当然ジョージがアンジェラとも恋仲になっていた事も判明し争点は泳げないアリスを故意にボートに乗せたのか、それは計画だったのか、或いは事故だったのか、、正直こんな展開になるとは思ってもいなかったが検察、弁護士、そして陪審員、更には証人喚問でやって来た人たちでジョージの心情に迫って行く。

いや~、、法廷劇ではないのだが貧しい青年は”陽のあたる場所”に自分を置くことが出来たのか、、では何故二人の女性とそんな短期間で愛する事が出来たのか。実に考えされられる物語でした。仮にもっと緻密に計画を立てて実行すれば違った展開だってあった筈、でも其処には純な青年としての本質がある、、っと監督のジョージ・スティーブンスが語っている。この翌年、西部劇の名作、”シェーン”を撮っているのだがとてもこの映画からは想像出来ないヒーローを軸にした作風なのには驚いた。

やはり素晴らしい映画はうん十年が経過してもそのまま素晴らしいものである、それを実感させて貰った。火曜サスペンス劇場とはかなり違うなぁ~、、、。