”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

やりたい放題の邦題 VS 膝を叩きたくなる邦題

もうかなり時間が経過しているがそもそもYahooさんでブログを始めたきっかけは”ナンで最近の邦題はこんなに手抜きなんだぁ~”と不満をぶつけたのとワード・パーフェクトで保存していた映画のデータをPCの新機種に移行した際に全て消去してしまった事だった。その最初に投稿した記事にfpdさんが反応してくれてそれ以降ずっとボクのアホな映画ブログ歴にお付き合い頂いている、。

 

 

 

そしてその不満の対象である邦題に関しては大きく分類すると;

 

① 日本語への直訳

② そのままでカタカナ表記

③ 翻訳して付けた邦題(原作を翻訳出版した時と違うケースもある)

④ 独創的な発想で生み出した邦題

 

とあるように思うのだが。

 

① のケースでは”アラビアのロレンス”、”風と共に去りぬ”、”ローマの休日”、”ウェスト・サイド物語”などは典型的な邦題だ。

 

② になるとそのままなので”サウンド・オブ・ミュージック”、”マイ・フェア・レディ”、、から近年はもうその意味さえ判らない”英語”がそのままカタカナ表記されていてこれが一番ガックリ来る根源だ。毎度書いているが”リバー・ランズ・スルー・イット”や最近では”ゼアウィルビーカーネージ”などとフザケた邦題は一体誰が考えて承認したんだか、、”リバー・ランズ、、”の原作発表時の邦題は”マクリーンの川”なんだが、、、ナンでこれじゃいかんのか??

 

③ は的確に翻訳して付けた邦題、これは瞬時にタイトルを目にして内容が想像出来るタイトル本来の姿、フランス映画からだと”地下室のメロディー”、”冒険者たち”、”さらば友よ”に”太陽がいっぱい”と無論原題の良さもあるのだが単に翻訳しただけ以上のインパクトがあった。どのタイトルも目にするだけで”ウン、これは見たいぞ”と映画館の前を通るポテンシャル観客の気持ちをくすぐる”秀作邦題”ばかりだ。

 

④ これもクラシック・シネマが多いのだが”慕情”、”哀愁”、”旅情”、”昼下がりの情事”から”恋愛小説家”、、、それに最近では”アナと雪の女王”(原題の”Frozen”=凍るからの発想は凄い)まで素晴らしい邦題のオンパレードだ。

 

原題から離れて全く違うカタカナを充てるケースもある。以前公開された”The Martian"に”オデッセイ”とか”Rookie"に”オールド・ルーキー”としたり、”Gravity”だって”ゼロ・グラビティ”、これらは恐らく原題を押しのけて英語化してもおかしくない程に優秀なタイトルだと思うのだが、、どうでしょう、配給元の担当者さん??

 

今ほど映画自体が身近な存在、ネットで検索すりゃその内容から背景、そしてネタバレだってあるし映画館へ出向かなくてもチョイと待てばソファに転がったまま新作だって見れる、、即ちさほど邦題に拘る必要はないのだ。いっそアメリカでやっているように来襲する台風には女性名、日本なら1号、、2号でも良いんじゃなかろうか?

 

さらに書くと今では洋画とは言っても字幕派が吹き替え派に押し切られそうな時代、まあヨーロッパではかなり昔から吹き替えが主流だったし、、字幕を追って画面に集中出来ないからと言うのが吹き替え容認派の意見らしいのだが俳優さんの声やイントネーション、それに微妙な訛りなども演技のうちだと思うのでこれが全部吹き替えじゃ演技力マイナス20%程度は損をするんじゃないだろうか?まあその分、吹き替えを担当している日本の声優さんや俳優さんの活躍の場が広がるって寸法か?

 

試しに画面を見ずに吹き替え版のセリフを隣の部屋から聞いてみると良く判る。びっくりする程に不自然だ。映像が無い分言っている事に集中出来るから気が付くのだとは思うが翻訳自体がヘンテコリンでとても字幕を読んで自身のアタマの中で解釈している情況とはかけ離れている。ましてやミュージカルなどはオリジナルが☆☆☆☆だとしたら吹き替え版は☆☆、、程度じゃなかろうか。

 

とそんな事を以前投稿していたんだが昨日こんな記事があるのをfpdさんに教えられた。やっぱりそんな事を感じているのはオレだけじゃなかったんだ、、こんな現状に不満を抱いている洋画ファンは、、

 

映画『俺たちに明日はない』の原題は?センスが光る“映画の邦題”を掘り起こす(週刊SPA!) - Yahoo!ニュース