”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

ハリウッドの内幕、

この女優さん、メラニー・グリフィスを初めて見たのは”新・動く標的”(75年)。私立探偵ルー・ハーパー・シリーズでポール・ニューマンが主演を演じチョイ役でティーン・エージャーの女の子をやった時だ。実年齢で18歳、ぷっくらしてまだまだ可愛いと言う印象だったのだが、、ママは当時27歳でまだヒッチコック爺に見出されて”鳥”(63年)に大抜擢される前である。そのママのティッピ・ヘドレンとピーター・グリフィスの間に一人娘として生まれたのだがそのママは22歳で18歳のピーターと結婚している。
 
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ティッピ・ヘドレンは雑誌のモデルだったのをスカウトされ”鳥”そして翌年”マーニー”(64年)ではショーン・コネリーとも共演しすっかりヒッチ爺のお気に入りとなっていたのだがこの撮影の後にヒッチ爺に真剣に迫られたとか、、先のメラニーの父親、ピーターと結婚していたのは52-61年なので多分この映画の頃は一人だったんだろう、、でも64年にはノエル・マーシャルと言う自身のエージェントだった人と結婚しているので”空家”じゃなかったような、、その結婚も82年に終っているのだがヒッチ爺を拒否した為に映画界からは長い間干されてしまったとか、、やはり本当にそんな事があるんだ。
 
そこでちょっと整理してみるとママが二度目の結婚に踏み切った時にはメラニーは7歳くらいか、、でもその新しいパパになったノエルの事は嫌いで最後まで懐くことはなかったそうな、そんなメラニーは何と14歳で既にアルコール依存症、、映画でママが共演したドン・ジョンソンにすっかり入れあげてしまい76年にはティーンエージ・ブライドになってしまった。何とも凄まじい生き様である、、、しかしママのティッピも娘のメラニーもこれで終らない、。
 
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ママは更に85年に再婚そして95年に離婚、、それから2002年に4度目の結婚をし現在もその結婚は続いているそうな、。メラニーの方はそのドン・ジョンソンとは半年後に離婚、81年にスティーブン・バウワーと再婚そして87年に離婚、更に89年に先のドノ・ジョンソンと二度目の結婚、そして96年に離婚、、、その後今度はアントニオ・バンデラスと96年に再婚、現在に至っているそうな、、。しかもアル中から今度はドラッグに溺れリハビリ施設に何回も出入りしている、。ママは結局何回結婚しても子供はメラニーだけだったのだがメラニーの方は結婚する度に生まれ夫々パパの違う子3人と一緒だ。
 
88年にマイク・ニコルスに”売り込んで”演技派として脱皮するのだがその映画は”ワーキング・ガール”、ハリソン・フォードシガニー・ウィーバーと共演、多分この映画が彼女が一番輝いた頃かも知れない、ところが撮影も後半、コテージの2階から階段を降りて来るシーン、メラニーは撮影開始前からすっかり酔っ払いロクにセリフも喋れない状態だったとか、マイク・ニコルス監督の逆鱗に触れ撮影順延の違約金として75,000ドルの支払いを命じられたとか、この一件ですっかり彼女も職業意識に目覚めリハビリ施設に自分から入り治療に専念する事にした。90年には”パシフィック・ハイツ”と言うホラーに近い映画でママとも共演しすっかりお酒とはオサラバしたらしいしその後も”嵐の中で輝いて”(92年)ではマイケル・ダグラスと共演、愛する人の為に戦火に飛び込み女スパイとしてナチスを混乱させる役も演じた。
 
その後は色々出てはいるのだがこれと言う決定打がなくTVやシリーズものに終始した、、2003年には奮起してブロードウェイの舞台へ、”シカゴ”のロクシー・ハート役を演じてこれはニューヨークのウルサイ評論家からも好評だったらしい、、。実は上記全て昨晩見た”私の伝記”と言う記録映画番組で彼女自身、、そしてママのティッピ・ヘドレンが語っていた事であります。母娘で合計8回の結婚かあ、、娘には子供が3人いて夫々違うパパ、、そのパパ達はみんな再婚して其処には又、別の子供達が、、となると一体全部で何人くらい”縁者”がいるんじゃろう、、。
 
ティッピ・ヘドレンもメラニー・グリフィスも好きで出演作は大分見ているのだがスクリーンからは想像も出来ない壮絶な世界の住人って事が判った。まあそんな事はどうでも良いのですが、考えてみるとこの半世紀で一回しか結婚をしていないんじゃ肩身が狭いしこんな事を書く資格もないぜ、、。