”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

オーストラリアン・ウェディング

最新、オーストラリアの結婚式です。花嫁さんは日本から花婿さんはアデレイドから、、そして初めて出会ったのがシドニー、、結婚式を挙げたのはブリスベン、しかも市内からは客船を使わなくては行けない”孤島”とあってこりゃもうオーストラリアならではの結婚式でした。
 
そして花嫁のご両親、ご親族が遥々日本から駆けつけ、花婿のご親族や友人連中も遠くアデレイドやシドニーから参列すると言う大移動となりました。我々はブリスベンから南へ100キロを車で移動、そこから全員船に乗って更に1時間、ストラッドブローク島と言う国立公園に指定された地域に建つこじんまりとした教会とレセプションが開かれる会場へ、、、結局正午過ぎにブリスベンを出発して船着場から乗船、式に参列、レセプションで盛り上がって、踊りまくって(他の参列が、、ですが)又、復路は船、我が家へ帰り着いたのはもうとっくに夜中の1時過ぎと言う近年おっさんにとっては究極の”The Longest Day”でした。
 
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花嫁入場の場面、、父上と腕を組んで参列する来賓の前を静々と進みます、、。新郎は一番奥でお待ちかね、。お父さん、緊張したのか歩の進み具合が早過ぎて、、カメラマンが間に合わなくて途中スローダウンのサインが、生憎この入場時、シトシトと小雨が降りしきるなかでしたがこの後、”牧師”さんの言葉を新郎新婦が繰り返して無事、誓約書にサイン、晴れて”夫”と”妻”になりました。
 
 
 
 
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庭園での写真撮影、お似合いのカップルです。とっても綺麗な花嫁さん、オーストラリアへ単身やって来たのがもう8年前、プロのグルーマー(ワン子のトリマーさん)でウチの四郎が良くお世話になりました。ブリスベン市内の獣医さんの診療所に隣接したヘアサロンへ就職して初日、日頃お世話になっていた獣医さんのハイネマン先生が”今日、新しく日本人のグルーマーが入ったんだよ”それが最初の出会いでした。
 
おっさんが30年くらい若けりゃその後の展開はちょっと違ったものになっていたかも知れないのですが、。
 
 
 
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これはケーキカット、、新郎はオーストラリア軍に所属する軍人さんです。ご先祖さんはドイツ出身、何処か共通点があるのかどうかこよなく日本とその文化を愛し、、新婦かどちらが先かは聞き漏らしましたが、。昨年、結婚の承諾を得る為に日本の新婦のご両親に会いに日本まで出掛けました。その順序を踏んだやり方に父上がいたく感激、しかも指輪を持って富士山頂上まで登りそこでプロポースをしたそうな、、、今どきの純正日本男児にも出来ないような事をやらかしました。
 
この後、サプライズで又、指輪の進呈が、、”ハテ、ナンで?”と参列者がクビを傾げていると、新婦さんは既に妊娠中、初の子供誕生には指輪を送る習慣があるらしいのですが、、ご本人既にアフガニスタンへの派遣が決まっていてこれから8ヶ月間は後方支援活動で赴任する由、そこで指輪だけを先に渡して置くという事でした。
 
それから各自のスピーチがあって最後に新婦の父上が壇上へ、、すると司会者がワタシを呼ぶじゃないですか、、”うえぇー、、、予感は的中”、、”それでは英語の通訳をお願いします”、だった。世の中、単に参列して食って飲むだけじゃ終らないんだ、、まあ事前に父上の原稿を入手して大筋は訳してあったのですが、、そんなで結局この時点までお酒は一切ナシでした。原稿用紙一枚に手短にまとめてあったのですが、、途中ふと見ると父上、もう胸が詰まっちゃって、、日本から参列されたご親族一同も皆さんハンカチを目元へ、こりゃ困ったな。会場の皆さんはそりゃ花嫁が父親ですから涙の理由は判るのだが、、それをどうやって皆さんに伝えるか。
 
まあ2年前の自分の娘の時を思い出してもしょうがないし、、第一オレは泣かなかったし、、原稿の二段落目に”我々が娘の親代わりとなっていて心強く感謝していますと”言う部分があったのだがそれをそのまま訳さずに”今のは冗談です、どうか皆さん笑ってください”とやったのが受けました。これで場内シーンとなりかけた雰囲気が一掃されお父上もその反応に助けられちゃんと最後までやり抜きました、、でも後半はグチョグチョでしたが、。そしてこのケーキ事件、後はもうDJが登場して10時半に船が出るまでどんちゃん騒ぎ、、ご両家の皆さんが入り乱れてダンスフロアーはごちゃごちゃでした、、これは圧巻でした。すっかり見取れてしまい写真を撮るのを忘れてしまいました、、、。
 
これがまさにオージー流”嗚呼、結婚式”、新郎には親族が沢山いてもう誰が誰やら、、従兄弟の数も半端じゃない、、自然の宝庫を背景に大騒ぎ、日本なら間違いなくカラオケ大会だったろうと思わせますが総勢80人くらいが入り乱れて言葉の障害など何処にもありませんでした。ご両家の皆さんももう10年来からのお知り合い、、と言う感じ、言葉なんか要らないと思わせる貴重な数時間でした。
 
船着場から自分の車に乗って遠路100キロ、、土砂降りのなか我が家に辿り着いたのはもう1時過ぎ、エリーがすっかり不貞腐れて寝てました。余程寂しかったのかワタシのベットに駆け上り、ワタシが寝るまで耳掻きを強要、しかし10分もやってやれませんでした。疲れました。