ジェームスは33年、ホノルル生まれの三世、最初は声が良いので歌手としてデビュー、日本へも東宝の招きで来日、ステージに立っていた事もある。ハリウッドデビューは50年代後半、勿論日本人役に限定されていた訳でもなく中国人役や国籍不明のオリエンタル役。同時にテレビドラマにも数多く出演するようになりアメリカがテレビに目覚めた時期を一緒に歩んで来た。声も良く勿論英語だって違和感がない、、典型的なミッキー・ルーニーが演じたような日本人とは雲泥の差があった。
三船敏郎やその他、日本に拠点を置きハリウッドに招かれて主演を演じた俳優さんとは違って地味な活動の末にテレビ出演、そして映画にと重宝がられた人だろう。先輩には早川雪洲みたいな俳優さんもいたのだが恐らくこの人のアメリカでの知名度は一番高いのではないだろうか、、”ダイ・ハード”ではナカトミビルのタカギ社長を演じた姿が印象深いかな。同じような設定でロスが舞台だった”ライジング・サン”、此方はショーン・コネリーが主演だったが日本企業が所有するナカモトビルのヨシダ社長はマコ・岩松が演じていたっけ、、。
このマコさん、、やはり同世代で33年生まれ。神戸出身で幼少の頃にアメリカへ渡りそのまま、、随分と苦労はされたようだが66年には”砲艦サンパブロ”でスティーブ・マックイーンと共演、翌年オスカーとゴールデン・グローブ両方にノミネートされると言う快挙を成し遂げた。やはり日本人に限定される役柄ではなく中国人、それにアクションからヤクザの一員、幅広い活躍をされていたのだが06年、72歳で亡くなってしまった。
32年、カリフォルニア生まれの二世、05年73歳でラスベガスの自宅で亡くなってしまったのだがこの人とは一度お目にかかっている。”ベスト・キッド”の制作発表だったのだが監督のアビルドセンと共に来日、ホテルの壇上に座り記者会見を、、。最も日本語は全くダメだったがそのひょうきんな表情と人懐っこい姿は忘れられない。
こうして見ると奇しくも3人とも32~33年生まれ、彼らに続く日本人俳優さんがいないのが寂しいのだがハリウッド全盛期を駆けた貴重な日系俳優さんが途切れると言うのは誠に残念な事だ、、。