”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

”リオ・ブラボー”(59年) アンジー・ディキンソン

イメージ 1映画”リオ・ブラボー”は59年に公開されたハワード・ホークス監督の西部劇、それもジョン・ウェインディーン・マーティンを配した名作だ。

そして初めて大役を射止めたのがこのアンジー・ディッキンソン、31年生まれなので当時は28歳とチト遅咲きなんだが男臭い西部劇に添えられた大輪とは言えなかったが一輪の”華”ではなかっただろうか。

現にそれまではテレビ界で重宝されていたのがこれをきっかけに完全にブレーク、その後の出演作は凄い数にのぼる。74年にはテレビ・シリーズ”ポリース・ウーマン”で主役のペッパー・アンダーソン警部に抜擢、(どうもこれが”ペッパー警部”の原点らしい)、、延べ91本が4年間に渡って制作された。

ドイツ系移民の両親を持ちノース・ダコタの田舎町に生まれ11歳の時にハリウッドの近く、バーバンクへ移転、作家になる夢を持ちながらバーバンクの飛行機部品メーカーで事務職を3年以上勤め53年に地元のビューティ・コンテンストに応募、二位になった事からテレビ業界に目をつけられ様々なバラエティ番組に出るようになったそうな、、、。

恐らくこのスチールはその当時のものだと思うのだが清楚な感じですっきりした雰囲気はテレビで全国区の知名度を獲得するには最適、この時代、アメリカにおいてはテレビの力は映画に優っていたと言う事か、。65年には作曲家のバート・バカラックと結婚、子供もいたのだが81年に離婚、それっきり再婚もせず60~80年代へとそりゃもうテレビ、映画と大量の作品に出ている。

ああああ~、、ヤンキースの試合開始なので、、今朝はここまで。

珍しく今日はヤンキースの試合が3時間以内に終わった、しかもデトロイト・タイガースのエース、バーランダーを相手に楽勝で7対2。初回から安心してみてられる試合展開でこれならストレスも解消されるぜ、、。

そのアンジー・ディッキンソン、”殺しのドレス”(80年)ではブライアン・デ・パルマ監督、共演にマイケル・ケインでサイケチックなミステリーに出演した。ヒッチコック監督の”サイコ”風に出だしシャワー室の場面があり公開当時、このヌード・シーンはホンモノのアンジーか、それともスタンドインか??で意見が分かれた。後年、あっさりと監督が”アレはスタンドインさ、”と言って実際にはアンジーのヌードじゃないって事がバレたのだが、、、最初はデ・パルマ監督の奥さん、ナンシー・アレンと噂されたのだが実際にはヴィクトリア・ジョンソンと言うボディ・ダブルの専門家だった。ご覧になった方には一目瞭然だが当時46歳だったアンジーなハズがないよ、、。



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