”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

”シェルブールの雨傘”(64年) カトリーヌ・ドヌーブ

イメージ 1もう完全に先入観があるので無理もないのだがこの女優さんはどうやって見てもフランス人だ、、そう日本人には”異人さんに連れて行かれた、、青い目の、、”フランス人形とでも表現したら良いのか、、。

カトリーヌ・ドヌーブ、、43年にやはりパリで生まれている、それもご両親共に俳優さん一家、、お姉ちゃんのフランソワーズも女優さんだった。何処がどう違う、、とは指摘出来ないのだがアメリカの女優さんとはやはり違うな、、、。

13歳で映画デビューしたらしいがやはり本格的なデビューは”シェルブールの雨傘”、映画では17歳の役柄だった。この映画、全編セリフが”歌”だったのには最初驚いた、、しかもフランス語なのでナニが何だか、、判らず面食らってしまったがジャック・デミー監督がカトリーヌを世に送り出したミュージカルの名作だ。それにミッシェル・ルグラン作曲の主題歌は多くの歌手にカバーされ歌い続けられている。

そのカトリーヌ・ドヌーブ、この映画でジュニビエーブを演じたあとは一気にスターダムを駆け上り膨大な数の作品に出演している。しかしアメリカ映画への出演は頑なに拒み続け一番輝いている時期、アメリカでの知名度は極端に低い。19歳の時にロジャー・バデムとの間にクリスチャンと言う男児を授かり結局結婚には至らなかった。そして28歳にしてマルチェロ・マストロヤンニとの間に生まれたのは女の子、、しかし彼とも結婚はせず時期を前後して65年にイギリス人のプロデューサー、デイビット・ベイリーと初めて正式に結婚している。それも72年に離婚、その後全く結婚の”け”の字もないそうな、、、。

マリリン・モンローが憧れのスターだったらしいが、、ナンか違うな、、実際はグラマー女優としてアメリカ映画にも出演したかったんだろうか??95年にはイーストウッド監督の”マディソン郡の橋”でオーデションを受けたらしいが結果はメリル・ストリープへ、、007シリーズでは”女王陛下の007”でリードロール(ボンド・ガール)を打診されたらしいが此方は断ったとか、、。

”昼顔”(67年)とかアラン・ドロンマルチェロ・マストロヤンニと共演した映画も多くあるのだがやはり”シェルブールの雨傘”は別格かな、、、。


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