”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

”愛と哀しみの果て”(85年)

原題は”Out Of Africa"、原作を書いたのがアイザック・ディネーセンで最初に出版されたのが37年、そして翻訳された時の邦題は”アフリカの日々”だった。それを何と当時の担当者、劇場公開にあたり”愛と哀しみの果て”と言う素晴らしい邦題にしてくれた、、、。当時絶大なる人気だった、ロバート・レッドフォード(49歳)とメリル・ストリープ(36歳)主演とあっちゃ邦題だって疎かには出来ん、、かなりアタマに汗かいて考えた結果ではないだろうか??

そして公開された翌年のオスカーでは見事に作品賞、監督賞を含む7部門を制覇”名作”として語り継がれる事になる。シドニー・ポラック監督は73年にもロバート・レッドフォードバーブラ・ストレイサンドで”追憶”(これも”The Way We Were"と誠に端的な原題だった)を撮り、その翌年撮った”ザ・ヤクザ”ではロバート・ミッチャムそして我らが高倉健さんもお世話になっている。

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実は公開時に見ているのだがもう30年前のお話とあってすっかりその内容は”アウト・オブ・ヘッド”で記憶にない、、、”イングリッシュ・ペイシェント”風な壮大なロマンスものだった気がするのだが。この年末はFOXさん、往年の名作を連続して放映してくれるそうなので楽しみにしていたがその”名作ウィーク”の一本がこれだった。

物語の背景は1913年のデンマーク、カレン(ストリープ)が腐っても男爵のブロアと結婚の約束をするところから始まる。二人は新天地、アフリカで酪農を営む決意で移住するのだが、、。

その移住先の東アフリカで登場するのが現地で猛獣狩りを職業としているデニス(レッドフォード)新婚早々のカレンだが最初はグラッ、、次にグラグラッ、、とデニスに惹かれて行く。ご主人のブロアは山っけたっぷりなのか別の事業にも食指を動かしコーヒー農園に手を出してしまう。しかも女ったらし、とあっちゃもうお話の向う先は読めてくる。

案の定、悪い病気をブロアからうつされやむ無く療養の為にデンマークへ一人帰る事になる、、当時の画期的な治療薬のお陰で病も治癒、又、アフリカへ戻ってくるのだが時は過ぎ去り第一次大戦終戦を迎えている、しかし何時まで経ってもダメ亭主は変わらず。嫌気のさしたカレンは彼を追い出しデニスを迎える事になる。

そんな展開でやっとデニスとアフリカの大地で新生活を送れるようになったカレンなんだが今度は農場が上手くいかない、収益が出ず銀行からの借入金が増えるばかりそして毎年苦労の連続、やっとこさ最終的に農場が収益を上げるようになった途端、今度は壊滅的な火災で全てを失ってしまう。とまあ踏んだり蹴ったりのカレンの人生、デニスとも別れもう茫然自失、デンマークへ帰る決心をするのだが今度は見送りにくると言っていたデニスが乗った飛行機が墜落、彼も失ってしまう。ありゃこれじゃモロネタバレ??

そしてその原作者のアイザック・ディネーセンについて、、もうこれも完全にネタバレです、、男性名ですが実はペンネームを何種類か使い分ける作家でカレン・ブリクセンと言うのがその本名で20世紀を代表するデンマークの小説家なんです。見たことはないのですが現在あちらで使われている紙幣、50クローネには彼女の肖像が使われているそうな、、そんなお札になるほどに有名な作家さまでした。

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検索したらちゃんと出てきました、、便利な世の中です。これが現在使用されている50クローネ札とか、更に検索したら邦貨では717円と中途半端な額でした。まあワンコイン+って感じでしょうか??

そしてこのストーリー、、メリル・ストリープが演じたのがカレン役、、ハイ、彼女自身のお話、自伝って事になりますか、、。このアフリカを出てデンマークへ帰ったのが31年、そして33年(48歳の頃)から本格的な作家活動を初め上記ペンネームを使い分けていたのです。我ら映画ファンには馴染みの深い”バベットの晩餐会”、、実はこれも89年に発表された彼女の原作で御座います。



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