”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

”戦艦バウンティ”(62年)

原題は”Mutiny On The Bounty"(バウンティ号の反乱)、リアルタイム、スクリーンで初めてマーロン・ブランドに接したのはこの映画だったと思う。24年生まれなので当時38歳、この映画をきっかけに”欲望と言う名の電車”(51年)、”革命児サパタ”(52年)、”波止場”(54年)などを見た記憶がある。

イメージ 1この”戦艦バウンティ”は1789年4月に実際に起きた反乱を描いておりこの62年度版を含め実に5回も映画化されている。イギリス海軍が貨物船として使用していた艦艇で乗組員44人のうち反乱を起こしたのは12名でブライ船長以下19人が船から追放された。

その追放する側のクリスチャン副長がマーロン・ブランドで横暴なブライ船長に我慢に我慢を重ね、、浅野内匠頭も真っ青になるくらいの仕打ちに耐えかね遂に”松の廊下”あらぬ”トンガ沖”にて刃傷に至るのでありました、、、。

史実は諸説があって(ウィキによると)どうもブライ船長はそんなに悪い船長でもなかったように書かれているのだが、映画用にかなり無理して白黒をつけた結果かも知れない。

イメージ 2これが当時のマーロン・ブランド、撮影中もこの頃からかなりワガママ放題だったらしいがこの映画に出演したタリアと後日結婚した。

船長に抵抗する副長としてトレバー・ハワードより断然”正義の熱血漢”風扱いだったし映画も翌年のオスカーでは作品賞を初め7部門でノミネートされた。

この副長役のイメージは結構長いこと記憶に残っていた。50年代のモノクロ映像、マーロン青年とは大分違う、、。

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若い時のイメージはこれかな?47年に舞台で”ステラーッ~”と叫んだのがデビュー作なので23歳くらいだった。それから”乱暴者”(53年)で一気に頂点へ、、そして翌年の”波止場”でオスカー受賞と繋がっていく。

そんなマーロン・ブランドだが56年には”八月十五夜の茶屋”でこんな役柄を;

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これはそうだと言われても俄かに信じられないマーロン・ブランドだ、、。沖縄が舞台のコメディタッチの映画、サキニと言う”日本人通訳”の役、共演はグレン・フォード京マチ子、、そして淀川先生がカメオ出演している。




イメージ 5そして72年の”ゴッドファーザー、”マーロン・ブランドと言えばこの姿を思い浮かべるファンが一番多いかも知れない。

それだけ衝撃的な役柄だったし映画も圧倒的な支持を得て名作と称されている。

この映画に出演した頃は”ラスト・タンゴ・イン・パリ”や”スーパーマン”でのお父ちゃん役もあったのだが、79年の”地獄の黙示録”、カーツ大佐役。世代によってはこのイメージがマーロン・ブランドそのものかも知れない。

イメージ 6世代はもっと上だがイギリスのサー・ローレンス・オリビエ、彼も芸歴が長く見る世代によっては印象深い役柄、と言うか本当の姿がドレだったのか迷ってしまう事がある。

39年の”嵐が丘”からずっと来て”レベッカ”(40年)、”探偵”(72年)、”マラソン・マン”(76年)、、等などを見ているとさてドレが本当の姿だったのやら、、その点、芸歴も同じように長いゲイリー・クーパージョン・ウェインバート・ランカスターカーク・ダグラスなど往年の男優さんは絶対に見紛う事はない。

戦艦バウンティ”が反乱して”M・ブランド”談義に終始してしまった。

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