日経新聞に”私の履歴書”と言う人気コラムがある。現役時代はナニを置いても最初に目を通すコラムでそのすぐ下の欄にあった”化身”は二の次だった、、霧子の動向が気になってそっちを先に読む事もあったのだが、、(*´∀`*)。
日経からは執筆依頼も来ないので自分で”ハンバーガー歴”としてみた。これは先日アンダンテさんのブログに触発された事がきっかけなのだが辿ってみると自身の”食歴”が良く判る。初めてハンバーガーなるものを食べたのは小学校の低学年、焼いた挽き肉をパンで挟んで食べる、、、それだけなのだが妙に懐かしい。家庭では食べた事はなかった、、さてハンバーグさえもあったかどうか??
当時銀座のみゆき通り、セントメリーと言う靴屋さんの二階にあった”キャンドル”と言うお店だ。此処は”チキン・バスケット”が有名なお店だったが一度引越しそれでも長い間古き良き洋食屋さんとして営業していたのだが何年か前に閉店してしまった。
このブログを通じてずっとやり取りしていた”KL TAXI”さんにも気に入って貰い何回かお出掛け頂いたのだが”もう閉店してました”と聞いた時は本当に残念だった。
このお店は現在もフランチャイズ化されてしっかり営業されているそうな。初めてカウンター席で食べたハンバーガー、、何せナニをどうやって注文して良いのか判らない。ちゃんと紙に英語で書いて行ったのだが向こうのおねいさんが早口でゴニョゴニョと言うのでつい焦って”Yes、Yes"とやってしまった。そうしたら何とフレンチ・フライの山盛りが二皿も出て来て実に困った、、ちっこいのに良く食うガキだと思われたんだろうな、、折角なので完食してちゃんとチップも忘れずに置いて来た。
この”サブマリン”はちょっと番外編、初めて食したのは確か、、65年くらいだったと思う。バスでニューヨークから北上すること6時間、ド田舎にプラッツバーグと言う小さな街がある。
実はそこのカソリック系の学校、寄宿舎に住んでいたのだが学校から歩いて10分くらいのところにデリがありそこにはこんなサブマリン・サンドと呼ばれるサンドウィッチが売られていた。恐らく朝から作っていたんだろうがカラス張りのショーケースの向こうにコヤツがラップに包まれて鎮座している。数ドルだったがこれがまた美味でして、、、学校の食堂で朝昼晩食べさせられている食事とは違って実に美味しいのだ。サイズは日本のコッペパン程度だが具が豊富でハム、サラミ、チーズ、レタスに輪切りのゆで卵、、休みになるといそいそと食べに行っていた。
そして再度日本、、もうこの頃は就職してたのだが最初の一年は泊まりの勤務があり仕事が明けてから同僚となだれ込むように駆けつけたのが東京は日比谷にあった三信ビル、その一階ロビー脇にあったお店”ニューワールドサービス”である。
このお店も実はビルの建て替えに伴い転居を余儀なくされ結局閉店してしまったと聞く。昨年都内へ帰った時に知人から聞いたのだが誠に残念だ、。
例の”マック”は確かこの頃に一号店を銀座に出したんじゃなかったかな、、遂に一度も行くことはなかったのだが三越の一階部分に派手なノボリを立てて開業した記憶があるぞ。
何の事はない、、当時はモービル(移動店舗)店みたいでデカいバンの中で調理をしていた。その場で食べるお客さんは周りに置いてある木のピクニック・テーブル、或いはお持ち帰り。
それともう一軒のお気に入りは、、;
ごく普通のレストランなのだが名前が”ハンバーガー・ハムレット”と言うくらいでメニューは全部ハンバーガー、、それがまた種類が多くて。ぶっちゃけ挽き肉を焼いてバンに挟むだけなのだがそのトッピングの種類が実に豊富だった。それにレストランとしてもアメリカンな雰囲気が良く此処には日本から遥々来られた訪問者を何回となくお連れしている。お世話になりました、、。
そして本場アメリカでの最後のお気に入りは”イン & アウト バーガー”と言ってこれも持ち帰り専門店。しかし此処はバンズが美味くてソースがまた微妙な味、かなりこのお店には通った記憶がある。
ちょっと待てよ、、此処まで書いて来て以前にも記事にしているような気がするんだなぁ~、、さていつ何処の書庫に入れたんだか、、。こんな感じのハンバーガー歴、でもこのオーストラリアへ上陸してからは”コレだっ”と言うものに出食わしてない、、たかがハンバーガー、されどハンバーガーこんなに長い期間いてもあるのは”マクドナルド”と”ハングリー・ジャック”(アメリカの”バーガー・キング”)だけってのも寂しいんじゃないのかな、、。
fpdさんの”ピザや寿司歴”にはとても及ばないが、、アメリカやオーストラリアじゃこれっきゃないし、、この先10年はもうちょっとマシな”食歴”にしたいと切に願っている、。
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