”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

三船敏郎の”☆”、殿堂入りを果たす

昨今、三船敏郎、、と言われても”それって誰っ?”と言われそうだがお嬢さんが活躍しているので”三船美佳のパパよっ、”、と言えばお判り頂けるかも知れない。

その三船御大がやっとと言うか”ええっ~、、ご冗談を、今までなかった??”と映画ファンが嘆く声が聞こえるようだがやっとお孫さんが参列してハリウッドの”ウォーク・オブ・フェーム”(殿堂の署名人を☆と共に歩道に埋め込んだプレート)お披露目の記念式典が開かれた。同じハリウッドのグローマン・チャイニーズ・シアターの前には映画スターの手形、足型とサインがあるのは有名だし双方とも観光名所として多くの観光客が訪れる。

イメージ 1此方の方はハリウッド大通りの5kmくらいの箇所に何の分野での功績かがひと目で判るように映画、テレビなど5つの分野に分類されて氏名が刻印されて輝いているのだ。

1958年に始めて作られこれまで業界に功績のあった約2500人の名前が刻まれているのだが三船敏郎没後、もう20年近くが経過してやっとこの度その栄誉が授与された。

ちょいと遅いんでないかい?と言う気もするのだが日本人では早川雪洲マコ岩松が”殿堂入り”を果たしていて三船敏郎が三人目となった。

イメージ 2


どうしても諸外国を含め三船敏郎のイメージはこんな感じ、、サムライ=ミフネで固まっていたような気もするが彼がハリウッドに招かれて出演したのは67年頃じゃなかったか、、それをきっかけに現代ものから戦争ものまで実に多くの映画で等身大”日本人”を演じてくれた。

無論51年の”羅生門”から”七人の侍”、などなど何れも素晴らしい映画であり黒澤監督とのコンビ作品を含め海外での評価は今では考えられないくらいに高かった。他の外国の俳優さんにも多大な影響を与えていたと聞くし共演したスターたちも皆さんファンになったとか、、。そんな彼の過去の作品、名声を思うと”ナンで今頃”と思われるファンはかなり大勢いるものと思われる。ワタシもてっきり彼の名前はとっくの昔に刻まれているものだとばかり思っていた。本当は投票する御仁も”ミフネはもうとっくに入っているよな?”っで確認したらまだだった何て事じゃないのかい?

もし、、もし、あの時、ジョージ・ルーカス監督からのオファーを75年に受けていたら、あの”スターウォーズ”のオービー・ワン・カノービ役、最終的にはアレック・ギネスになったのだが、、この歩道には10年以上も前に彼の名前があったハズだ。これに関しては彼もかなり後悔していたと何処かで読んだ記憶がある。

ともあれこれは何とも我ら映画ファンには嬉しいニュースだ、、

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