これは実際に起きたお話です。舞台は”キングコング”も登っているし”めぐり逢い”などの映画でも登場するニューヨークのエンパイア・ステート・ビル、主演はguchの一人芝居、公開されたのは確か80年か81年だったか、、。
出張でNY滞在中の出来ごと、営業とご挨拶を兼ねて日本の観光振興会と言う運輸省の外郭団体へお邪魔した時の事でした。そのエンパイア・ステート・ビルの47階だったか、かなり上層階にあった事務所へ。午後一番に伺ったのは確か、無事”会談”を終えて”では失礼します”とエレベーターホールへ出た。
するとこんなカンバンが、、そう言えばこの二階だったか下の階に日本の大手旅行代理店の支社があったっけ?っでエレベーターを待たずにこの表示に従ってビル内の”階段”口へ。まあホテルマンの営業なんてこんなもんさ、、地道に訪問件数だって足で稼ぐのさと勇んだまでは良かったんだが、。
階段を二階分降りて非常ドアに手を掛けると、、ありゃ、ビクともしないし開かないじゃないか??そうだっ、、ニューヨークなどでは防犯の意味もあり外廊下側は施錠されてなく簡単に入れるのだが一旦入ってドアが閉まってしまうともう外へ出られないんだった、忘れてたよ。この時点で背骨に沿ってヒヤリと汗が、参ったな、。
こりゃこのまま誰にも気づかれずにこの場で餓死するのか??と一瞬頭を過ぎったのは事実だ。まあ取り敢えず降りよう、、そしてトコトコと45階から地上を目指して降り始めた、、何処かのドアが開いてないかと通る度に試すのだが無情にもちゃんと施錠されている。無論携帯電話なんてまだ発明されてないし監視カメラ何てもんは映画の世界だけだよ、重いカバンを持ちスーツを着て革靴じゃ動くのも疲れるぜ、これがまさに”怪談”だった、。
結局トコトコと14階くらいまで降りたのだが最後の地上階も施錠されてたらどうするんだ??と不安がアタマを、、
こんな感じの非常階段で1階分を行って来いなので10階分は20回折り返すことになる。まだ若い頃だったが流石に疲れる、ひょっとして地上階がダメなら又、この道を戻って何処か開くのを待つっきゃないのか??幸いもっと暗かったが一応点灯はされているので何階にいるのかは判った。
しかし10階を越す辺りから益々心配になって来た。そして最後、やっぱり自由の女神は生きていた、そりゃニューヨークにいるんだから頼みますよ、若き日本男児を助けてチョウダイな、、忘れもしない8階を通り過ぎる頃、何やら下の階で引越し業者が廊下に破損防止用にベニヤの板を敷いている様子、それに外気が流れ込んでいるし台車が行き交う音がするじゃないですか、、、もう慌てて必死こいてその音のするほうへ一目散で三段跳びだぁ~、、。
そしたら運送屋のアンちゃん3人が台車を使ってキャビネットやら何やらを一旦廊下から非常階段口の踊り場へ運び出してエレベーターに乗せる準備をしているところだった、。向こうもオリエンタルの兄ちゃんが突然汗まみれで慌てた表情でやって来るのでびっくりこいたらしい、それこそあっちにしてみりゃ”怪談”だよ、。そんな非常時でもない昼下り、非常階段を伝って誰かが出て来るだなんて夢にも思ってなかっただろう。
”アンタら命の恩人だよ”と言っても俄かに信じて貰えなかった。まあ無理はない、でももう詳細を話す気力もなかったのでそのまま”サンキュー・ベリーベリー・マッチ”でさようなら。もうこの日は又、エレベーターに乗って45階だかに戻る気力も失せていたしひたすらホテルへ戻りたかった、。
ナンで今更こんなアホな事件の顛末を思い出したか??実は今朝、その続編が完成し一足先にブリスベンで上映されたのです。家内に付き添って市内のとあるビルへ、5階に用事がありちょっと時間が掛かるとか、、なのでおっさんは一人で下の階でコーヒーでも飲んでくるよ、、そしてガ~ン、、そりゃもう当時の事などすっかり忘れているしオーストラリアじゃ今度は火災条例で施錠はしちゃいかんとなっているのですっかり安心して又、階段に挑戦してしまったのです。
そしたらロビー階のドアが開かない、、どうもドアの向こうで搬出作業中らしい、、最初はドンドン叩いたのだが何の反応をありゃしない、そこでやむ無く一階戻り2階に出てしっかり今度はエレベーターのお世話になったのです、。良かった良かった、、そんな小事件があってつい大昔の出来ごとを懐かしく思い出してしまいました、無論、家内には内緒ですが。。、。
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