”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

考察 ”グレイテスト・ショーマン”

先日見た”グレイテスト・ショーマン”、見ると決めた映画は余り深く詮索もしないし全容も知らずに映画館へ駆けつけるのが常だ。実はこの映画も初めて予告編でお目にかかったのが”スター・ウォーズ/最後のジェダイ”の時だった、、そしてオーストラリアでは26日に封切られ見に行ったのが27日と映画の存在を知ってから映画館で見るまでの時間が極端に短かったのだ。

この予告編を見た瞬間、”見たいっ!”となった訳だが主演のヒュー・ジャックマンや他の数人は判るものの”ゼンダヤ”とか”ケイラ・セトル”それに”ローレン・オールレッド”何て名前は全然知らなかったのだ、、まあレベッカ・ファーガソンが出ているのは判ったがこんなロマン一杯の大役を演じていただなんて全く想定外だった。

Youtubeで検索してみるとオーストラリアではかなり事前にヒュー・ジャックマンのインタビューとか映画にかける意気込みや撮影の舞台裏までアップされていた。そしてタイトルソングにもなっている”ラ・ラ・ランド”コンビのジャスティン・ポールとベンジ・パセックが書いたオリジナル曲も聞くことが出来る。

そう、、書いて置きたい事が沢山あるのだがその中でも到くこのおっさんの心臓にグサリと来た逸話を一つ、、。それはレベッカ・ファーガソンが演じる”ジェニー・リンド”の事である。お恥ずかしいのだがてっきりこの人は架空の歌手だとばかり思っていた、、映画の中の紹介では”有名なヨーロッパ界のオペラ歌手”と言われていたのだが実はそれは1820~87年に生存したスエーデンの歌姫だったのだ、。

そしてウィキによると、;

イメージ 11850年、興行師P・T・バーナム(H・ジャックマン)の招きに応じてリンドは渡米する。彼女はバーナムの興行で93回の大規模な演奏会に出演し、その後は自らの運営でツアーを継続した。

彼女はこれらの演奏会を通じて350,000ドル以上を手にしており、それを慈善事業の推進、主にスウェーデンフリースクール基金へと寄付した。

彼女は1852年に新しく夫となったオットー・ゴルトシュミットと共にヨーロッパへ戻り、1855年イングランドに住まいを設けた。続く20年の間には3人の子どもを儲け、時おり演奏会を開いて過ごした。1882年からの数年、彼女はロンドンの王立音楽大学で声楽科の教授を務めた。

と言う事らしい、、その顛末がこの映画、”グレイテスト・ショーマン”のもう一つの挿話になっておりそのリンドを先のレベッカ・ファーガソンが演じたのだ。

イメージ 2更に色々と調べて見るとこのレベッカ自身はスウェーデン生まれでしかも音楽学校出身とか、、でも映画ではリアル歌唱は叶わずローレン・オールレッドが歌っているのだ。このローレンはアメリカの歌唱コンテスト番組”The Voice3”のシーズンに選出された22歳の若き女性シンガーでその実力はアチラでは有名らしい、。

っとまあこんな事を知っていると映画に対する興味が断然増すような、、そりゃバーナム自身が実在した興行主だしこの二人の関係が幸せだった奥さんのチャリティ(M・ウィリアムス)と二人の可愛い女の子たちに微妙な影を落とす、、そんな側面も実際にあったのだと思いながら歴史とミュージカルの両方を楽しめるのだ。

オーストラリアでは公開されてから徐々に人気が急上昇している、、IMDbの評価も最初は7.6くらいだったのが公開一週間で8になりこれからも上がりそうな気配が、、過去の色々なケースでは最初に8以上を獲得すると週を追って下降するものだがどうやらコレは逆らしい、、。

遂に正真正銘、これが本年最後の記事になりました。年間を通じておっさんの拙い戯言にお付き合い頂き誠にありがとう御座いました。どうか来年も宜しくお願い致します。最後にうちの一年を表記する漢字にも選ばれている”グレイテスト・マゴショー”に因んでシアトル産、お手製のクッキーをお届け致します、(´▽`)。

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皆様、良い新年をお迎え下さい。