”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

サヨナラ日劇

東京の有楽町にあった日本劇場(日劇)が閉鎖された。記録によると33年に竣工したのでワタシはまだ生まれてない、、記憶にあるのは恐らく50年代半ばになってからだと思うので既にその頃は築20年以上を経ていた。時代は”Always 三丁目の夕日”真っ只中、ハナを垂らし、半ズボン姿で築地から都電に乗りこの日劇、警視庁前を通り三宅坂経由、で学校へ通っていたので嫌でも毎日目にしていた。

実家は築地だったが母のすぐ上の姉(叔母)、それに弟(叔父)が銀座で商売をしていた関係で帰りは日劇前で電車を降り良く遊びに行っていた淡い記憶がある。母はすぐ傍にある泰明小学校を出ているので、無論戦争前だがこの辺りは”縄張り”だったようだ。

その日劇へ始めて入って見たのは”ゴジラ”じゃなかっただろうか?確か映画とレビューの二本立てで日劇ダンシング・チームのラインダンスも一緒に上演された。メインの劇場、それに地下には”日劇ミュージック・ホール”と言う舞台、それともう一つ小型の映画館が併設されてような気がするが果たしてこれは”ホール”が閉鎖された後に二番館として改装されたものだったのか??


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この懐かしいスチールは前面に新幹線の下り列車が走っている、、って事は64年に始めて新幹線が開通したのでその頃か?

同じ頃だったがニューヨークで始めて入った劇場、”ラジオ・シティ・ミュージックホール”(映画”ゴッドファーザー”でマイケルが父親のドン・コルリオーネが銃撃されたと新聞を読む場面)がこの日劇と同じスタイルで映画+ロケッツ・ガールズのレビューをやっていた。”フ~ン、、アメリカさんも日劇の真似っこしているじゃん、”、と思ったものだが恐らくそれは逆だったんだろう。この本場ニューヨークの上演スタイルを日劇が真似たんじゃなかろうか?

此方で始めて見た映画がジェームス・ガーナー、エヴァ・マリー・セイント、ロッド・テイラー主演の”36時間”だったような、、午前中に入場すると”学割”で99セントと言うのは鮮明に覚えている。

有楽町マリオン”と言う名称で隣にあった朝日新聞社屋も一緒に建て直しされたのが81年だとか、この頃は洋画じゃなくて邦画を何度となく見に行った覚えがある。これで東銀座にあった”東劇”、それにお濠端にあった”帝劇”(シネラマ映画館)と三つあった単体の”劇場”が全部なくなってしまった。近い将来はシネコンとしてビルの内部に取り込まれてしまうのは実に寂しいなぁ~、、。

そう言えばこれまでは単独の建造物として建築されていた各ホテルもビルに衣替え、その中の上層階を客室として営業する事が主流となっている。営業床面積を効率良く使い続ける為にはビル化もやむ得ないのだがこれも散々単独のホテルを見て修行して来たロートルに取っては外見は何の特徴もないビル、、それって寂しいものがある。

そのうち有楽町や銀座は大型ビルが建ち並び中にデパートとかホテル、レストランや映画館にショッピングセンターが入る複合施設になるんだろう。ああ、もうなっているんだった、。このブリスベンはそれプラス上層階には個人の住宅が含まれるのが一般的で現在でもあっちこっちにクレーンが立ち上がり爆発的に開発が進められている。さてどんな連中が住んでいるのやら、。