”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

映画でがっかりな日本人

 
長年映画を見ているとなかには”なんじゃこれっ?”って印象の日本や日本人が出て来る。50~60年代は中国人が演じていたり明らかにセリフが陳腐なもの、背景だって絶対にこれは日本じゃないぜ、、みたいないい加減な作品もあった。近年は流石にそんな目くじらを立てるような場面や人間描写はなくなって来ているが、、それでも油断するとヘンテコな場面に遭遇する。
 
そんな映画から独断と偏見で、、;
 
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この映画にはかなりガックリさせられた。制作されたのは05年で監督はロブ・マーシャル、、しかも原作の”Sayuri"はアーサー・ゴールデンのベストセラーだ。日本からは渡辺謙桃井かおり役所広司などそうそうのメンツが配役されているのに主演のさゆりちゃんを何とこのチャン・ツイイーが演じたのだ。そりゃセリフは全部英語だし日本語を喋れない女優さんでも良いだろう、、と言われりゃそんなもんかと思うのだが、、これは絶対に大失敗だったぜ、。
 
この映画に関してはキャスティングをしているのが日本の方なのでとやかく言いたくないのだがアメリカでも批判ゴウゴウ、、監督はスピルバーグから引き継いだロブ・マーシャルだったがもう防戦一方、何でもハリウッドの俳優協定がどうのこうので彼女を使う事になったそうだが、、思い出したくもない。
 
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次の映画はこれ、、オードリーの為に作られたオードリーの映画、”ティファニーで朝食を”(61年)なんだがその中に汚点が一つ、、。この何とも不可解な名前”Mr Yunioshi"を演じたミッキー・ルーニーである。
 
典型的な日本人と言う設定でオードリーの階上に住むおっちゃん、出っ歯でメガネ、何時も浴衣で胸にはカメラ、、と言う出で立ちだ。そりゃ俳優さんに非はない、あるとすればプロデューサーだろうが半世紀以上が経過した現在、こんな配役をしたら総スカンは間違いない。
 
まあ原作を書いた、トルーマン・カポーティもいたく反省しているし監督のブレイク・エドワーズもこれは失敗だったとインタビューで語っているので許してやろう。こんなおっちゃんが出てきたから余計オードリーの素晴らしさが際立ったと解釈しているのだが、、。
 
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こっちは56年に公開された映画、”八月十五夜の茶屋”である。この映画でサキニと言う訳の判らん日本人を演じたのがマーロン・ブランドである。
 
他に京マチ子グレン・フォードも配役されていたのだが、、どうやって見てもマーロン・ブランドが日本人は無理だろう、後年、モノマネで有名になった清水アキラが目張りにセロテープを使っていたが全くそんな印象のメイクだった、。もう映画の内容も忘れた、と言うか忘れたい。
 
 
 
 
このおじさんはかの”小林さん”、、そう映画は”ユージュアル・サスペクツ”(95年)、で重要な役割の”弁護士兼相棒”を演じた、ピート・ポスルスウェイトだ。
 
確かに日本人として配役されているならちょっと~、、となるのだがこれはヴァーバルが空想の中から勝手に創作した人物、床に落ちて割れたコーヒーカップの下にコバヤシ陶器店とあったのを見て勝手に作り出した名前なのでまあ許せるか?
 
っとまあこんな具合で”気に入らない日本人”を書き出してみたが、、どうも以前にも記事にしているような気がするぞ、。映画の中でこんな日本はひどくない?ってのもあるが要所だけは国内ロケを敢行しているようだ、今度はその逆に西洋人監督がその感性で日本人以上に上手く日本を捉えて独創的な”日本感”を披露してくれているケースもある。例えば、、リドリー・スコット監督が撮った”ブラック・レイン”(89年)、あの時の大阪の繁華街、それに親分を追い詰める畑場の場面、(実際はカリフォルニアのワイン農場で撮影)、や工場内は素晴らしい出来だったと思う。
 
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そしてもう一本、これは007シリーズ”スカイフォール”(12年)で悪の巣窟として使われた長崎沖に浮かぶ”軍艦島”である。映画では香港からセイリングで一晩で着いてしまうと言う設定だったが結局島へは上陸も撮影隊が入る事もなかった。ボンドとラウルのやり取りはすべてセットであたかも廃墟に上陸してロケを敢行したように見れるのだ、、監督はサム・メンデス
 
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