”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

池江璃花子、頑張れっ~!!

このニュースはまさに青天霹靂だった。日本水泳界の若きエース、池江璃花子が急遽オーストラリアの合宿から帰国して治療の為に入院した、、とある。
 
そのニュースを読みながら合宿先のオーストラリア、実はこれにはかなり昔の事だが縁があったんだと思い返した。無論池江選手が生まれる前の事なんだが、当時ホテル屋を卒業して日豪の懸け橋として出来る事は何でもやっていた時期がある。ある日、東京の事務所から”ブリスベンで競技用プールを2~3週間借りれるところはないだろうか?”と問い合わせが入った。
 
詳細を聞くと関西にあるスイミングクラブが気候が逆でしかも年末年始の休みがない真夏のオーストラリアでトレーニングを積みたいとの意向だった。2000年にはシドニーでオリンピックが開催される予定だったのでどうも有望な選手たちはオーストラリアに慣れる事も目的の一つと言われたような、そしてこの話が持ち上がったのは97年頃のお話だ。
 
早速ブリスベン現地で競技用のプールを借りれる場所を探したのだがプールは沢山あれど諸条件をなかなかクリアー出来ず困っていたのだがある日、空港からも近いブリスベン北部に歴史ある私立校の存在を知った。そこは小学校~高校の一環教育を実践していて近年外国からの留学生を誘致する為に別途インターナショナル部門を設立し新たに学長さんが任命された。
 
これだっ、、っと狙いを定め、その学長さんへ会いに飛んで行った。何せ空港にも近いし、デカいプールはある、それに留学生用に寄宿舎もあるし食堂も完備、スポーツジムから400mのトラックまである。更には学長さん、、何と日本人名だ。これにはビックリしたがご主人が日本人で大学教授とか、、ご本人はオージーなんだが彼女も任命されてこれが最初の外国人誘致に繋がる。
 
もう話はとんとん拍子、それにオーストラリアの学校は12月から2月までは長期夏休みなのだ。寄宿舎を解放してくれ食堂も担当するコックさんも手配、プールも半分のレーンを確保、、でも最後に条件を付けられた。それは英語の授業を受けて貰うと言う事でこれを承諾すれば学校側にも立派な理由付けが出来る。
 
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そんなで資料を全部揃え大阪のスイミングクラブへプレゼンに赴く、予定していた選手団は女子、総勢30人程度でなかにはオリンピックで上位を狙える選手が5~6人含まれていた。ちょっと見積もりが安かったかな、、とは思ったが受け入れる事が先決だそして苦労した甲斐あってその年の年末に最初の一団がブリスベン空港へ、。
 
まあ滞在中はそりゃ大変だった、、急患も出たし、鬼コーチに情け容赦なしのトレーニングを受け選手VSコーチ陣が対立する事も、先のコックさんにはある程度日本食に馴染みのある人を選んで置いたのでそれこそカレーから焼きそば、鶏の空揚げにお握りまで、、食事に関しては誰からも文句は出なかった。しかしみんな良く食べる、、何せ起床後直ぐにウォームアップ朝飯前に1時間プールへ、、そして昼メシを挟んで夕方4時半までずっとプール漬けの毎日だ。
 
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一度日曜が休養日になりコーチと選手10人程度だったかを中華街へ連れて行った事がある。飲茶専門店でそりゃ皆さん喜んでくれたっけ、、でも当日お店で用意していたランチメニューを全部平らげてしまい中華のおばちゃんから”アンタら何者?”っと問い詰められてしまった、、。
 
そしてこのチームの受け入れが年末年始と3年も継続した、2000年のオリンピックでは金銀に輝いた選手が夫々一名、長距離で4位入賞が一名と立派な成績を残したのだ。これがきっかけだったのかそれ以降、日本の有力クラブではこの時期には寒い日本を離れ、豪州トレーニングを行う事が慣例化している。
 
そんな昔を思い出しながら池江選手頑張れっ~、、っと思わず胸が熱くなってしまった。どっかの大臣が”これでオリンピックのメダルが減る、、”とかアホな事を言っているが何故そんな事をこの時期に思いつきそれを報道陣の前で簡単に言葉にしてしまうのか?そんな失言が許されるのか?理解に苦しむ。
 
兎に角、此処はテレビ、ネット、新聞などの報道陣は派手に騒ぎ立てず静観して欲しい、彼女のご祖母がいみじくも”水泳なんかどうでも良い、生きて欲しい”、と語っていた、。この一言に尽きるんじゃなかろうか??