”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

”イェローストーン” シーズン4(21年~)

アメリカで制作され2018年から放送されている骨太の近代ウェスターンドラマである。主演はケヴィン・コスナーで現在彼方ではとっくにシーズン5に突入しているのだが日本じゃWOWOWが配信権を仕切っているようでシーズン3が昨年終わってやっとシーズン4が配信され始めた。

 

夫々のシーズンが10話から成り立っていてこれまではケヴィン・コスナー演じるジョン・ダットンを家長とする壮大な”家族”の物語である。牧場は実在するモンタナ州の国立公園内、見方によっては”ゴッドファーザー”に似てなくもないのだが別に家業は犯罪ではない。

 

しかし乍ら広大な土地を持ち昔ながらの牛や馬の放牧で生計を立てている一家に敵対するヤツらがゴマンといる。土地の利権に絡み売却を迫る業者、先住アメリカ人が先祖の土地を返して欲しいと訴える部族等、そして雇っているカウボーイ達のもめ事と毎回目が離せない程に色々な事件が起きるのだ。それもオイオイこれは現代だよな?っと念を押したくなるような銃撃戦があったりでその事件の解決はほぼ西部劇である。

実はシーズン3の10話ではそのジョンが銃撃され同時に弁護士稼業の長女、ベスそして州政府の管轄下で法を執行する立場の次男、その奥さんと幼い長男も襲われているのだ。それから一年が経過してやっと続きがシーズン4として始まった。こりゃ見ない訳にはいくまい、、っでやっとその続きを見る事が出来た。

 

いやはやアメリカでも評判は上々と聞くがこのメインのお話とは別にスピンオフも制作されている。”1883”と言うタイトルで主演にハリソン・フォードヘレン・ミレンの夫婦が東部アメリカからこの地へやって来て住みつくまでを描く前日譚もある。そして”1923”では近代アメリカに於いて恐慌時代を生きるダットン一家、更には”Bass Reeves"、そして”6666”と言うスピンオフまで制作が予定されている。

壮絶な戦いは終わる事がない、、まさか腰に拳銃って訳じゃないが大型4WDが走り上空にはダットン一家の所有するヘリコプターが舞い、カウボーイ達は馬で現場へ駆け付けると言う完全にスタイルはまごう事ない西部劇である。

初めて見たシーズン1の1話では登場人物の紹介がかなり複雑で誰がダレだか理解出来なかった。それにお話が多少前後するのでオレのアタマでは混乱気味、こりゃ継続出来そうもないかな、、っと思ったものだが今じゃWOWOW配信の数多いドラマでこれが唯一、毎週録画を欠かさないドラマになって来ている。

本国でもネタ不足なんだか一旦成功するともうあれやこれやの手練手管を使い続々続々とお話が繋がって行く。それにハマるこっちも悪いがシーズン3のような終わり方をしたらその先を見ない訳にはいかんでしょ?

”心の旅”(91年)

ハリソン・フォードとアネット・べニング、そして監督がマイク・ニコルズと来れば原題は”Regarding Henry"だと直ぐに判る。でも”心の旅”と来るとちょっと気が着かなかった。今なら邦題は絶対に”リガーディグ・ヘンリー”になると断言出来るのだが、。

お話はニューヨークの辣腕弁護士、ヘンリー(H・フォード)常に病院とか大会社寄りの凄腕振りで弱者には滅法強いのだ。そのヘンリー、事務所から煙草を買いに出た時に偶発的にも強盗事件に巻き込まれ瀕死の重傷を負ってしまう。それも記憶喪失と言うオマケ付きでロクに会話も歩く事さえも出来ない。

 

監督のマイク・ニコルズはこんな設定に滅法強い、有能なリハビリトレーナーの登場でヘンリーの身体的な怪我は徐々に回復するのだが知的障害なのか読み書きや理解力が不自由でとても以前の生活には戻れそうもない。

本来ならそこで奥さんサラ(A・べニング)の登場となるのだがそんな彼を助けてくれるのがブラッドレー(ビル・ナン)で読み書きの回復そして今後の人生との付き合い方まで伝授してくれるのだ。この辺りのヘンリーの回復振りとブラッドレーのやり取りは実に巧く演出されている。

中盤からは弁護士事務所へ復帰を果たすもののまだ障害の残るヘンリーには上司、同僚、そして担当秘書から社内にいる不倫相手まで全部まとめて判らないのだ。辛うじて奥さんと一人娘のレイチェルは認識するが弁護士事務所ではすっかりお荷物化してしまい不安定な毎日を送っている。

映画では終盤に掛けて現役復帰を期待してしまうがニコルズ監督、一筋縄では終わらせない。ごく普通の人間性は取り戻すが現場復帰はせずに豪邸から小さい住処に引っ越し、レイチェルも有名女子校に於ける寄宿舎生活を返上し家族三人で再出発すると言う如何にもマイク・ニコルズらしい展開で終わる。

まあ記憶喪失になった事からそれまでの強引とも言える弁護士稼業を振り返った結果、本当に自身が描く理想の生活を取り戻すと言うホンワカした弁護士ストーリーである。この頃のハリソン・フォードとアネット・べニングは一番印象深い時期ではなかっただろうか?

”チケット・トゥ・パラダイス” (22年)

主演はジョージ・クルーニージュリア・ロバーツとなれば監督はダレでも良かろう、、とプロデューサーも考えたんじゃなかろうか?それにしても原題が”Ticket To Paradise"ナンでそのまま邦題をカタカナにするかなぁ~、、。

 

 

この二人の共演作を見に映画館へ出向く世代はアラフォーを超えてアラフィフじゃないか?それにコメディタッチならもっと日本語ならではの邦題は思いつかないものか?

個人的にはクルーニーの”ファミリー・ツリー”、”マイレージ・マイライフ”を思い出させる映画を期待したんだがそれは見事に裏切られた。そもそもコメディタッチと思いきやそれも違ってたし笑える場面などありゃしない。かと言って舞台と背景がバリ島なので楽園で斬った張ったの深刻な人間ドラマにはならないのだ。

ストーリー的にはかなり無理っぽくて笑える要素はあるのだがそれが生かされてない、、離婚して25年が経過するデイビット(G・クルーニー)とジョージア(J・ロバーツ)には一人娘のリリーがいる。そのリリーは大学を経て弁護士になるべく見習い勤務に就く前に友人とバリ島で羽根を伸ばそうと行くのだが現地で知り合ったグデに一目惚れ、挙句結婚したいと言い出すのだ。

慌てた元夫婦がバリ島へ飛んで状況を確認、出来れば連れて帰りたいとドタバタする映画なんだが、、それがどうも深刻にもならないしかと言って笑える要素も見いだせないのだ。同じような設定では”バードケイジ”(96年)、それに”ミート・ザ・ペアレンツ”シリーズ(00年)には遠く及ばないのが残念だった。

どうせ最後は元のさやの納まるのがオチなのでデイビットとジョージアも徹底的に戦えば良いのだがリリーとグデの前でおろおろするばかり、、何とか結婚を断念させようとバリ島じゃ伝統的な儀式として結婚式の前に奉納して納めて置く指輪を盗んで式を妨害しようとか姑息な手段に訴える。

それらの想定はちっとも笑えないのだ、それにやっと大学を出てこれから弁護士を目指して行く予定のリリーが旅先で出会った青年と恋に落ち、生涯をバリ島で過ごしたい、と思い詰めるのもチト無理がある設定じゃなかろうか?まあグデの両親が出来た人達でこの結婚にも賛成してくれるのが救いだ。

プロデューサーに是非これは続編を作りたい、、と思わせる配給収益と良い脚本があれば折角のバリ島ももっと生まれ変われるのだが、。

”武器よさらば”(57年)

これぞ”オールド・シネマ・パラダイス”向きの古き映画だ。但し、スタインベックの原作は見事だったが映画となると、、幾ら古いのが好きでもチョイと首を傾げてしまう。原題の”A Farewell To Arms”は実はゲイリー・クーパーとヘレン・ヘイズ主演で1932年に”戦場よさらば”の邦題で映画化されている。

なのでこっちのロック・ハドソンジェニファー・ジョーンズ版はリメイクって事になるのだがやっぱりゲイリー・クーパー版の方が断然出来は良かった。恐らく”敗因”はメインの二人を演じた配役ミスじゃなかろうか?

 

ロック・ハドソンが演じる青年中尉、フレデリックが余りにも唐突で一目で美女と恋に落ちる図式がどうにも理解し難い、、それにお相手のジェニファー・ジョーンズは此処でもキャサリンと言う従軍看護婦なんだがこの映画の二年前に女医さんのハン・スーインを演じた姿がダブってしまいどうにも落ち着かないのだ。それに被さるように繰り返し背景として掛かるテーマ曲”慕情”にはどうやっても勝てまい。

 

監督はチャールス・ヴィダーとジョン・ヒューストンと来ればもっと奥が深い作品を期待したが原作は超えられなかった。そもそも映画での設定がアメリカ人中尉とイギリス人看護婦、、その背景が第一次世界大戦時期の1918年でイタリア戦線へ志願してやって来たと言うのだが役目は後方支援とも言える怪我人の輸送活動である。

 

その辺りの状況説明がないので後半になってイタリア軍からの脱走者として追いかけられるくだりが良く理解出来なかった。イギリスから派遣されて来たと言うキャサリンにしても従軍とは言っても他には同胞の看護婦さんはいない、、まあそんなもんかなと思っているうちに2時間半が経過していた。

ずっと昔に見ただけなのでたまに思い出すシーンはあったがほぼ忘れていた。愛する二人は添い遂げる事はなかったと結末だけは判っていた積もりだが予想とは違うエンディングなのには驚いた。

”ゴーストライター”(10年)

ロマン・ポランスキーが監督だが脚本も手掛け、プロデューサーも兼務している。ジャンルから行くとポリティカル・スリラーと言うらしいが主演はユアン・マクレガーピアース・ブロスナンで元ネタの原作はロバート・ハリスが書いた長編小説、同名”ゴーストライター”(”The Ghost Writer”)である.。

 

 

お話はいきなり海岸線へ男の水死体が流れ着く場面で幕開け、でも画面は一転してイギリスの出版社に移り其処へプロのゴーストライターユアン・マクレガー)が面接を受けにやって来る。同席しているのは出版社の社長、そしてゴーストライター代理人でもある弁護士、そして政府の重鎮だと思われる男だ。

どうやら彼は6人目の候補者らしくその役目は元イギリス首相(ピアース・ブロスナン)の自叙伝を出版する為にゴーストライターとして執筆する事らしい。そこでやっと判るのだが冒頭、海岸へ流れ着いた水死体は前任者のマカラで中途半端になった自叙伝を再読して完成させる事が任務らしい。人が書いたモノを手直しするのは気が進まないが代理人からもその過分な報酬を受諾するように言われ4週間の予定でアメリカ東部のボストン近郊にある小島で療養中のアダム・ラング元首相の別荘へ向かう。

緊迫感が満載って訳じゃないのだがどうもこりゃ一筋縄ではいくまいな、と思わせ先の水死体は事故かそれとも作為的になされた事なのか見ている側に不安感を増幅させる演出はロマン・ポランスキー独特のらしさが満載だ。面白いのはこのゴーストライターには名前がなく終始一人称で物語が語られて行くのも謎っぽいのだ。

そんな展開だが死んだ前任者のマカラが残した分厚い原稿と部屋の整理をしてて偶然引き出しの裏側に貼り付けてあった写真や謎の電話番号、新聞記事などを発見してから俄然展開が変わって来る。もしマカラの死が誰かの仕業としたら自分だってその立場は危うい筈で一気に緊迫感が増して来る。

更に残された原稿を読み進み残された情報を交互に読むとラング元首相の経歴にも不自然な箇所が見つかるのだ。どうもそれらにはアメリカのCIAが深く関与している節があるのだ。その最中、ラング元首相が狙撃されると言う事態に、、其処からは元首相の夫人のルースやアメリカ側の政府高官が出て来て目が離せなくなる。

終わってみれば派手なアクションは一切ないのだがラング元首相の役目、CIAとの関係、それに前任者のマカラは何故不慮の死を迎えたのか、、ルース夫人は一体何をしていたのかそして肝心のゴーストライターはどんな運命を辿る事になったのか?秘密が秘密に包まれて結局自叙伝は発刊され、ベストセラーになるのだが謎は残ったまま終わってしまった。上出来のゴースト作戦だった。