古くは三船敏郎御大、高倉健、丹波哲郎、、、渡辺謙と日本の俳優さんも海を渡っての大活躍だが生まれは日本でも単身アチラへ渡り活躍をした人、日系人として生まれ日本へ渡る事なく最初からアチラで活躍された人達がいる。
大先輩はかの金太郎こと早川雪洲、(1889~1973年)戦前からの活躍でトーキー時代に遡るが何と言っても印象深いのは”戦場に架ける橋”での斉藤大佐役だ。当時既に還暦を過ぎていたのだが映画のヒットと共に多くの映画ファンに典型的な日本人軍人像としてそのイメージが強烈に確立されてしまった。
その後1933年組みと言っては失礼だがジェームス・繁田、この人はハワイ生まれだが後年ハリウッドに渡り成功した数少ない俳優さんである。古くは59年頃から映画に出ていて当初は戦争映画なら日本兵、しかも必ずや最後には撃たれる役とか、、たまに生き残る役柄だと中国人とか他国の役柄、、何とも配役が限定されたものであったそうな。以降色々な役柄を演じているがTV出演も多く60-90年代はそりゃもう沢山の番組に出ていて多分アメリカでは日本人と言えば一番この人の印象が強いんではなかろうか。個人的にはナカトミ・ビルディングのタカギ社長がかなり印象度が高い。
同年でもう一人、忘れてはいけない人がいる。マコこと岩松誠である。この人はスティーブ・マックイーンと共演した”砲艦サンパプロ”でオスカーにもノミネートされ一挙に脚光を浴びた。神戸生まれで渡米したのは50年代初め、ご両親が先にアメリカに渡っていたものの戦争で収容所へ、その後居住許可が降りてからやっとアメリカに渡る事が出来カリフォルニアで俳優修行、TVの仕事に就いたのが最初だった。今でも当時の古いTVシリーズをクラシックチャンネルで見ているとゲスト出演で良くお見かけする。残念ながら”サユリ”のお父さん役が最後の映画出演になってしまった。07年没、74歳とは何とも若過ぎる、、、。
このお二人より一年先輩がパット・モリタ。この人はカリフォルニア生まれの陽気なおっっちゃんである。実は”ベスト・キッド”の制作発表が日本のホテルで行われ監督のジョン・アヴィルドセンと共に来日している。当時その記者会見場を取り仕切っていてご本人ともお会いしているのだが本当に映画のまま、日本語は殆どダメだがお付きがいる訳でもなく、偉ぶったところもなく飄々とした仕草や喋り方が好感度満載であった。やはりTV主体に60年代後半から活躍されているが東洋人と言う配役が中心であったそうな。彼の場合は日本語も殆どダメなのでそりゃ日本人役には限定されなかったようだが英語をナマって喋らされる事が多く先の”ベスト・キッド”はさも英語は片言、、みたいなせりふ回しが多かったそうな。この人も05年没、ミスター・ミヤジは永遠だ。