”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

”ローマ帝国の滅亡” (64年)再

以下は7年前の2015年に投稿しているのだが昨晩又、映画を見てしまったので再投稿をば、、;
 

 
この映画が制作されたのは63年、アメリカ本土で劇場公開されたのは翌年の3月。映画館で見た記憶はあるのだが内容はサッパリ覚えがない、、もっとも先週見た映画でも最近は内容をすっかり忘れているケースが多いので50年も前に見たことを覚えているだけでも立派なものか??
 
当時はこの手の”史劇”が大流行り、ちょっと年代は前になるが”ベン・ハー”が59年、”スパルタカス”が翌年、更に”エル・シド”が61年だし”クレオパトラ”63年や”隊長ブーリバ”62年と”史劇”と言うジャンルを作れる程に沢山のスペクタクルが制作されている。ドレも膨大な制作費をかけ、エキストラの出演やお馬さんの数はもっと凄い、舞台設定だって今のようなCG処理ではなく立派なセットを作り誠に豪華絢爛な映画制作方法だった。
 
この原題はそのまま”The Fall Of The Roman Empire"で主演がソフィア・ローレン、、アメリカに招待されたこの映画の当時は30歳とまさに輝いていた頃、、先の”エル・シド”ではチャールトン・ヘストンと共演、此処では”ベン・ハー”でヘストンの宿敵を演じたスティーブン・ボイドがお相手だった。
確か監督のアンソニー・マンとコンビを組んでいた制作者のサミュエル・ブロンストンは”エル・シド”に続く歴史大作だが双方にソフィア・ローレンを使っていた。他の配役はクリストファー・プラマー、この映画で演じたちょいと狂いの生じたローマ皇帝の跡取り息子役が翌年の”サウンド・オブ・ミュージック”抜擢に繋がっている。
 そしてサー・アレック・ギネス、此方は”アラビアのロレンス”に続きローマ皇帝役で出演、更に同じ”ロレンス”からはオマー・シャリフ、アンソニー・クエルが配役されたしそれにメル・ファーラーやジェームス・メイソンと豪華な顔ぶれだった。
 
映画は史実にどれだけ近いものがあるのか??だが、皇帝を亡き者とした後に継承した息子、、妹役のソフィア・ローレン、恋仲だが義兄弟とも言える親しいローマ指揮官のスティーブン・ボイドを軸に帝国が崩れる事が決定的になるまでを描いている。史劇映画、”グラディエーター”とかなり似ている設定なのでこれはリドリー・スコット監督、この映画から逸話を拝借して来たと言われても反論できまい。
 
改めて見てみると恐らくデジタル処理された画像だと思うのだが(恐らく背景は描かれた絵画)全く古さを感じさせない。スペクタクルなシーンや壮大なセットはホンモノだ。でも全編ソフィア・ローレンは吹き替えかも、、、だって声も発音も全然別人だし、。
 
内幕談として”エル・シド”の制作が終わりこの映画では主演の二人、チャールトン・ヘストンソフィア・ローレンを再度共演させ、シリーズ化する事を合意していたらしいのだがヘストンが脚本を読んで降りてしまい”北京の55日”の撮影へ向かってしまい急遽、”ベン・ハー”での宿敵にお鉢が回って来たそうな、、。興行的には失敗作だったのでヘストンは出なくて正解だったかも??
 
この時代の大作史劇はドレも上映時間が実に長い、途中休憩が入るのが当たり前だったがこの映画も3時間を優に超えている、、これは結構辛かった。半世紀が経過して見ても、、、この長さにはちょっとうんざりだった。途中やむ無く3度ばかり停止したりちょっと舟を漕いだり、、予想外の出来事があったがやっと滅亡寸前まで辿り着いた、、ああ、結局昼も食わずに疲れた。
 
っと書いているのだがその通り、今回改めて見ても同じ印象だった。ただ劇中の音楽を担当していたのがディミトリ・ティオムキンで西部劇で慣れちゃっているせいかローマの軍勢をバックに戦いに挑む場面などはどうもオレにはジョン・ウェインが騎兵隊を従えてインディアン討伐に向かう雰囲気だった。でもオスカーを受賞しているのでそれなりに評価は高かったんじゃなかろうか?
 
それとやっぱりこんな映画でのソフィア・ローレンは苦手だった、、一番輝いていた時期ではあるのだが、、同世代でいけばアンジー・ディケンソンとかティッピ・ヘドレン、、それにスザンヌ・プレシェットは好きだった。そんな中でもオードリー・ヘップバーンは別格だが、。
 
 
 
 

”トップガン マーヴェリック” (22年)

朝から気合を入れてヤンキースの”応援席”に座っていたのだが何時になっても始まらない、。変だなぁ~、、と思いネットで調べたらナンだよ、ニューヨークは雨であっちの午後になっても降雨率88%らしい、、こりゃ中止になりそうだと思い待つ事2時間、やっと中止が発表された。って事は明日の朝は5時にプレイボールでそのまま試合後に勝ったチームがテキサスへ飛びアストロズとリーグ優勝戦を戦うんじゃないか?

結局そんなで時間が空いてしまったので早速有料チャンネルで”トップガン マーヴェリック”を見る事にした。まあ野球が空振りで映画って事は昔じゃ考えられなかったがトム君に敬意を表して550円でポチンっと、。

 

 

何と36年振りの続編だがトム・クルーズも随分と頑張っているんだ、、確かにセリフにもジイさん扱いされている箇所もあったがヴァル・キルマーがカメオで出演、彼に比べりゃトム君は56歳でも断然若いぞ。流石にケリー・マクギリスはカメオ出演も叶わなかったらしいが、その分断然まだ魅力的なジェニファー・コネリーが相手役として抜擢されていた。

ストーリーはもうあのトニー・スコット監督の続編としちゃこれっきゃないお話で昔風に言えば海軍の戦闘機テスト・パイロットが再度最新戦闘機に乗り”トップガン”と呼ばれるチームを鍛え直し敵国が企てているウラン濃縮プラントを破壊しに行くと言うもので劇中、”ならず者国家”とだけ表示され実際の国名は出て来ない。

そして過酷な爆撃訓練を行い優秀なパイロットを帯同させる事になるのだが此処まで見てハタと気が着いた。そうだ全く同じような状況でその昔、”633爆撃隊”って戦争映画があったんだ。

 

 

これは1964年に公開された映画でクリフ・ロバートソンとジョージ・チャキリスが主演、イギリスの空軍司令により出撃するモスキート爆撃隊のお話だった。世界大戦末期、ノルウェイの山中深い場所でドイツ軍が最新鋭ロケットを準備している。

ノルマンディ上陸作戦に合わせ発動させるそのロケットの燃料庫を爆撃に行くもので地上からの援助がジョージ・チャキリスが扮するレジスタンスで敵地の山並みに大きく張り出す岩肌を爆撃して基地を壊滅させる作戦だった。その爆撃隊の隊長がクリフ・ロバートソンが扮し的確に爆弾攻撃をしないとその山並みを切り崩す事が出来ないのだ。事前にフィヨーデルの山間部で攻撃の訓練をするところは同じ設定だった。

そりゃアナログ戦争とデジタル化された戦闘では迫力はお話にならない程に違う、でもノルウェイで敵はドイツ軍、ナチってのがハッキリしている分、現実性がある。こっちのトップガンは仮想敵国で場所さえもハッキリしてないので何となく現実感が乏しい、第一あんな戦闘攻撃や敵機撃墜ってなったら本格的な戦争に発展しそうで見ていてドキドキしてしまったよ、。

ああ、途中から文字通り、”オールド・シネマ・パラダイス”の”633爆撃隊”評になってしまったがトム君のガンバリには☆☆☆☆を進呈したい、、どうやらこの続編も企画中だとか?トム君もやるなら早くしてくれないと、日本には奈津子さんが待っているし、。

 

 

 

 

 

 

”クライ・マッチョ” (21年)

監督、制作そして主演と三役に活躍したクリント・イーストウッド御大の作品で元ネタはリチャード・ナッシュが71年に執筆、出版した小説が原作だ。面白いのはそのナッシュ氏、自分から映画化を制作会社へ持ち込んだものの却下されてしまい今度はタイトルに”クライ(Cry)”をくっ付けて書き直した。

その結果、やっとワーナーブラザースが映画化を承諾したものの今度は主役の人選が難航、、1988年にクリント・イーストウッドが打診されたが”オレにはこの役は若過ぎる”って理由で断られ代わりにロイ・シェイダーを主役に据えて撮影をメキシコでスタートしたものの途中で頓挫してしまった。

 

 

そして時間は経過し2011年になってシュワルツネッガー、ピアース・ブロスナン等が主役候補に挙がったようだがそれでも映画化の企画は頓挫、結局2020年になってやっとこさイーストウッド御大が乗り出して来て監督、制作、主演で作られる事になった。まあ映画を見終わって受けた印象としてはそれまでして作りたかったお話なんだろうか、、とちょっと不思議な気もしたがクリント・イーストウッドの集大成作品はこれから先、もうそんなに多くは見られないしコレは見過ごしている訳にはいかない。

時代背景は1978年になっているがマイク・マイロ(C・イーストウッド)はかつては花形のロデオスターだったが今は馬の調教師として身軽な独り住まいだ。そのマイロが公私で世話になったハワードからメキシコへ逃げた母親の元から自分のティーンエージャーの息子を連れ戻して来てくれ、と言う依頼を受ける。

断れないマイロは一路メキシコへ向かいその母親の元を訪ねるのだが、、。そんな出だしで映画が始まる。割と簡単に母親が見つかりしかもその子供も町の養鶏場賭博に居る事も判って難なくそのラフォにも会う事が出来る。何となく拍子抜けする出会いでしかもラフォは最初は抵抗するのだが父親が牧場主で金持ちだ、と聞くとすっかりその気になりマイクと一緒にテキサスへ向かう事を承諾してしまう。

こりゃ中盤からナニかよからぬ事に出くわしそうだな、と思いきや母親が尾行しろと命令したチンピラ達も別にどうって事もなくその母親だって豪勢な暮らしぶりだが犯罪に手を染めている訳でも無さそうだしスムースにテキサスへの帰路についてしまう。

途中でクルマを盗まれて止む無く途中の村に滞在する事になったりはするが基本的にはそのマイロとラフォの(爺とひ孫?)交流がロードムービー風に描かれていて映画は淡々と進んで行く。

その村に滞在している二週間だかの間に親切に食事と宿を提供してくれたマルタとはマイロも互いに惹かれるしテキサスへ行ってからの将来を思い、その村の農場で馬の世話をしながラフォに乗馬や牧場での仕事を伝授したりと大分余計な時間は掛かるがその辺りの交流がこの映画の主題になっている。

映画のタイトルになっている”マッチョ”とは本来はムキムキ男の総称で強いオトコなんだが此処ではラフォが大切にしているニワトリの名前である。闘鶏所では別格に強く、連戦連勝でラフォのペット兼収入源でもある。それが”Cry”って事は”泣け”なのか”戦え”なのか最後まで不明だったがエンディングではその大事な”Macho”をマイクへ差し出してコイツを大切にしてくれ、、と言い残し、父親の待つテキサス側の国境へ入って行く場面で終わる。

 

 

 

”ターミナル・リスト” (22年)

アマゾンが独自に制作しネット配信しているようだがシーズン1は全部で8話あるらしい。主演はクリス・プラットでNAVYシールズの小隊長役でジェームス・リース少佐を演じている。設定はシリアが舞台、ある化学者を殺害する為に小隊と潜入し隠密裏に作戦を実行する予定だったが敵の待ち伏せに会い小隊は全滅、、そんなスリリングな出だしで始まった。以下はウィキから拝借、;

 

 

ネイビーシールズのジェームズ・リース少佐は、シリアで化学者カハニ殺害の特殊作戦”オーディンの剣”を実行に移すが、敵側の待ち伏せで12名の部下が殺害されて、ブーザーと二人だけで帰国する。

通信記録と記憶は食い違い、頭痛とめまいに悩まされる。ブーザーは不審な自殺を遂げ、リースは何者かに襲われて妻と娘は殺害されて容疑をかけられる。リースは陰謀を暴くため、かつての戦友でCIA局員のベン・エドワーズ、かつて命を救った元軍パイロットのリズ・ライリー、記者のケイティ・ブラニクの協力を得る。

 

 

陰謀に関わった人物への復讐リスト(The terminal list)を、娘が絵を描いてくれた紙の裏に書き、名前を足しては殺害後に線を引いていく。脳腫瘍が判明するも、自分や妻子を襲った殺し屋たち、そして襲撃を命じたビジネスマンらを探し出しては殺す。

やがてこの陰謀の裏側に、兵士のPTSDを抑制する効果があるものの「脳腫瘍を誘発する副作用のある軍用新薬」を開発した、製薬会社の売却が背景にあると知る。贈賄された軍の高官たちが兵士を使った実験を承認し、副作用の証拠をもみ消すために偽情報で自分の隊の抹殺を謀ったことを突き止めて殺す。副作用のことを知っていた国防長官は自殺し、リースはベンが贈賄を受けとり”オーディンの剣”を仕組んだと知り殺す。

っと言う訳だがアマゾンプライムでの配信でうちじゃ追加料金ナシで見れるもののもう10日以上が経過しているがシーズン1の8話まで進んでいない。確かまだ3~4話くらいじゃなかろうか?

以前、どっぷりハマった”Bosch”等は途中で止められなくて一気に6話くらいまで進んでしまった事を考えると内容はストライク・ゾーンに来てはいるもののイマイチぐいぐい度が弱くグワッと引き込まれるまでには至っていないのが残念だ。

クリス・プラットと言えば”ジュラシック・パーク”とか”マグニフィセント・セブン”なんだが妻子が殺されてしまっても何となく共感出来ないのは何故だろう?

 

 

 

 

”セントラル・ステーション” (98年)

これはボクとしては珍しいブラジルとフランスの合作映画だ。もっとも舞台はリオ・デ・ジャネイロだし配役もブラジル人の俳優さんが中心、原語は全編ポルトガル語なのでフランスっぽい箇所は全くない。

タイトルになっている”セントラル・ステーション”は英語だがポルトガル語の原題は”Central Do Brasil"となっていて別に”駅”に拘っているようでもない。確かに主人公のおばちゃんは毎日この”セントラル駅”で代筆業を営んでいるので的外れなタイトルでもないのだが、、物語はその後、ロードムービー風になって行くので駅の場面は冒頭だけである。

 

 

 

そんな映画なので此処はもっと日本人受けする邦題を付けて欲しかったし配給元ではそれをやる価値がある程に秀作だと思う。

元教師のドーラ(フェルナンダ・モンテネグロ)は駅の構内に机を一つ出し読み書きの不自由な人たちを相手に手紙の代筆業をやっている。このドーラ、なかなかのくせ者で折角口述した手紙を投函せずに家に持ち帰り勝手に読んだりしているし気に入らない告白文みたいなモノは廃棄してしまう。

そんなある日、彼女の前に母親と9歳になる息子のジョズエがやって来る。頼まれて代筆を始めるのだがそれはプイっと出て行った夫にもう一度会いたい、息子に会わせたいと言う内容だった。その母親が帰り際、通りに出たところで息子を庇おうとしてトラックにはねられて亡くなってしまうのだ。

時代背景は何時なのか不確かだが混沌としたリオの中心街、万引きをした容疑者は警察官によって簡単に射殺されてしまうし車道で横たわる母親の為に救急車を呼んだりする群衆も居なく通り過ぎていくだけだ。ましてや残されたジョズエを気にする人は何処にもおらずジョズエは止む無く駅の構内に寝どまりする羽目に、。

それを見かねたドーラがジョズエを連れて自宅へ帰る。そこでジョズエが見たモノはとっくに父親宛てに投函されていたと思った母親がドーラに口述した手紙だった。流石に焦ったドーラ、、そしてその手紙の宛名へ向かってジョズエと二人父親探しの旅に出るのであります。

なかなか打ち解けないジョズエに胡散臭いドーラと言う二人の珍道中でヒッチハイクでトラックに乗せて貰ったり長距離バスに昼夜揺られたりとリオからどっちの方向へ向かっているのかは不明だったが広大なブラジルゆえそう簡単には目的地へは辿り着けない。映画の中心部分はこの旅路だが終盤になってやっと父親がいる筈と母親が残した住所へ辿り着くのだが其処にはもう父親は不在、別の住人が住んでいる。

どうも宝くじに当たったらしく近所の酒場へ入り浸りすっかり所持金を無くし家も売って何処か別の場所へ越して行ったらしいと判る。途方に暮れるドーラ、やっとの思いで此処まで来たのに旅はまだ続くのだ、。

そんなお話だが二人の描写が実に現実感があって素晴らしい、、ドーラはもう若い訳じゃないし映画界のスタンダード或いはブラジリアンから見てもそんなに魅力的でもない、性格だって何処となく一癖ありそうで果たしてこれじゃジョズエに良い影響は与えられないだろうと思わせる。でも終盤思いがけない展開になりドーラは夜が明けきらない中、長距離バスに乗って一人リオへ帰って行くのです。