”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

スターの座を越えたクリント・イーストウッド氏

“ローハイド“のローディ・イェイツを知っているファンはもうオールディー、それに重なるように一連のマカロニウェスタンの主役として知るファンでももう50代、”ダーティ・ハリー“シリーズのハリー・キャラハンは40代後半、そしてアクション俳優から監督業へ進出して名監督として知るファンは20-30代、と幅広いファン層を持つ昔ながらのスーパースターである。

先日アクターズスタジオのインタビューでウェスタンについて語っていたのが印象的だったのでその一部を;


“ローハイド”はご存知TVシリーズで1959年に放送が開始され家庭にテレビが普及するとともに視聴率を伸ばし合計217本も制作された。そのシリーズが終了間際にセルジオ・レオーネ監督に乞われて当時、制作費予算200,000ドルと言う格安西部劇をヨーロッパで作るのでと出演依頼が舞い込んだとか。まあそれまでは端役での劇場映画出演はあったもののTVドラマが主体だった訳でこのイタリア、スペイン、ドイツ連合の劇場映画の主役を快く承諾した由。台本を読んだ時点でこりゃ“用心棒”のリメイクだと知った事も(尊敬する黒澤・三船映画)大きな決め手だった。

この映画、台本では“ジョー”とだけ書かれているそうだが劇中一度もそう呼ばれるシーンはなくまさしく名無しの主人公、しかも無口でやたらガン捌きが早くこれも“用心棒”のキャラクターを地で行ったものだろうか、、。三船敏郎も言葉少なく(喋っても何となく棒読みで、、)やたら刀捌きは早かったようなところが共通しているのかも知れない。

クリント・イーストウッドはその西部劇で憎き相手と対座した場合、相手が前を向いていようが後ろを向いていようがいち早く引き金を引き、撃ち殺すのを常としていた。かのジョン・ウェインには映画の中でもそれなりの哲学があり正面、しかも相手が銃に手を伸ばしてからやっと自分もドローして間一髪打ち負かすのを彼なりのスタイルとしていたそうな。76年“シューテスト”の撮影中、監督のドン・シーゲルに相手が4人なんだから早く撃って片端から片付ける仕草をクリントみたいにやってくださいと注文をつけたところ。一瞬ジョンは真っ青になり“あんな洟垂れのガキがやっている事はオレには出来ん、、”と唸ったそうな。

ともあれ主演男優、製作者、監督、そして脚本家として多彩な技量を発揮するイーストウッド氏、最近は硫黄島2部作に代表されるまでもなくもっぱら名監督としての知名度が先行しその才能を開花させている。長いハリウッドの歴史で彼ほど俳優、そして他の分野においてもこれほど秀でた足跡を残した映画人がいたであろうか。今後の活躍が楽しみで目が離せない、、。