”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

スピーチの原稿

何と何処にもプリンターがない、、、プリントアウト出来ないのでブログに貼ってPCを持ち込む事にする。ワードのファイルでも良いのだが、、でももう覚えたし大丈夫だろう、、。
 
皆さん、本日は洋次君、涼子の為にお集まり頂き誠に有難う御座います。花嫁の父親として一言述べさせて頂きます。
 
昔からスピーチとスカートの丈は短い方が良いと言われていますので此処は手短に、、一つだけエピソードをご紹介いたしましょう。
 
実は涼子はレッキとしたアメリカ人でしてミドルネームもちゃんとバースサティフィケート上にもトレーシーと付いております。年月の経過は早いもので30年も前になるのですが当時我々一家はロスに駐在しておりそこのQueen Of Angelesと言う病院で生まれました。それが何と12月の26日、日本の会社や社会では慌ただしい年末前の一日ですがクリスマスの翌日でまさにゴールデンウィークとも言える連休中でした。
 
その26日の朝、ワタシは普通に出勤したのですが昼過ぎに家内から電話、そろそろかも知れない、、と言うので自宅へ帰り既に用意してあった荷物を積んで病院へ、手続きをしてから全てを看護婦さんに任せてワタシは又、会社へとんぼ返り、、そこで全てを忘れてしまった訳ではないのですが今のように携帯電話などもないし、連絡もままならずそのまま忙しく仕事を続け気がつくともう夕刻。
流石に自分でもこりゃいかんと思ったのか病院へ電話をしてみるともう確か6時過ぎだったと思うのですがもう「とっくに生まれてますよ」の返事、、ええっー、そんなに早く。
そこで直ぐにでも病院へ飛んで行けば良かったのですがつい何時もの仕事仲間と行きつけのバーで祝杯を先にあげてしまいました。そして病院へ着いたのはもうかなり遅くなった時間でしかもアルコールが入った状態、もう時効ですからバラしちゃいますが酒気帯び運転状態でした。
窓口で担当の看護婦さんに会ったのですがその看護婦さんが突然怒りだして「アンタ今まで何をやってたの」、で赤ん坊にも会わせてもくれません。長年この病院にいるけど「出産に立ち会わなかったおとうさんはいませんよ、」、そこを何とかをとお願いしてやっと中へ通され沢山の赤ん坊が並ぶ新生児室のガラス越しに「あれがアナタの赤ん坊よ、、」でそれが涼子との初対面でした。
 
日本人の子には珍しくないのですが黄疸が出ていたので涼子は一人病院に残り家内は2日で退院、結局涼子が自宅へ帰ったのは翌年の元旦になっていました。
 
これから未熟な二人で築いていく結婚生活、我々は遠くに離れており普段接する機会もありませんがどうか此処にお集まりの皆さん、長い目で二人を見守り必要なら援助なりの手を差し伸べてやって頂けますようお願い申し上げます。最後に洋次君そして涼子もこれからが大変な人生の道のりです。どうか二人でより添い何時までも元気で、身体には十分気を付けて楽しくて暖かい家庭を築いてください。