”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

リポビタンD発売30周年の頃、、

当時現役のジャイアンツの選手を起用して撮影が行なわれていた頃、日本のオフ・シーズン(冬場)はスカッとした青空が背景に撮れないとかの理由だったと思うのだがブリスベンが撮影場所として選ばれ元木とか斉藤を始め5-6人の選手が来豪、ラグビー場を野球場に見立てて毎年CMの撮影が行なわれていた。
 
そのエキストラ募集があり総勢100人程度の”オリエンタル”が集められた、、弁当付きだし割と時給の良いバイトだったので一家で参加、選手には直接会えるし生粋のジャイアンツ・ファンとしては願ったり、、お金は要りませからの心境だった。最初撮影隊は選手を良く知っている日本人エキストラで固めようと思ったらしいがそうは行かない、最終的にはジャイアンツどころか野球も知らない中国人やら韓国人に召集がかかり大騒ぎ、、たかがエキストラの撮影と言ってもある程度”ハイ、そこで笑って!”とか”気勢を上げてくださーい”、次は”ウェーブですよ”と言われても彼らにはちんぷんかんぷん、、それを各国語にしてメガフォンで怒鳴る担当者、それを見ているほうが笑えた。
 
最終的には100人程度のエキストラ観客が合成技術により3万人くらいに膨れ上がり球場で声援を送っている風景となった。後日、日本で放映された時の画像を貰ったのだが残念ながら最初のアップ時にそれと確認(?)出来る場面が一瞬あるだけであとは全く認識不能だった。果たしてこのCMが好評だったのか、ジャイアンツの選手達がオーストラリアを気に入ったのか以降3-4年連続して撮影が行なわれ恒例化してしまった。
 
その最初の年、エキストラを募集した手配師、”芸能プロ”から”登録されている日本人が極端に少ないので今後も引き続きやってくれないだろうか?”とのオファーが来た。そう言われて暇な時に映画ばかり見てないで今度は撮影現場に立つのも良いかな、、程度の軽い気持ちで引き受けちまった、、、。
 
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そして最初に入って来た仕事は当時オーストラリアものTVシリーズとして人気のあった”General Hospital”、”救急病棟”って感じの病院を背景にしたシリーズ。取り壊しが決まっている市内のビルを病院に見立てて撮影が、、通行人役やら患者役、、医者の役には就かなかったが、結構最初の話と違って拘束時間が長く、弁当だってサンドウィッチ程度、しかももう空調がないので暑いったらありゃしない、ライトも煌々とあたるし、しかも主演の二人が見ているほうがアッケにとられる程にトチル、その都度通行人は元の位置へ、、こりゃ結構疲れたよ。ビデオに撮って確認したがこれは顔が判別出来るくらいに”出番”があった、、、、毎回見ている視聴者が”あの番組のエキストラ、毎回同じ顔ぶれね”なんて言ってなかったのか余計な心配までしたよ。
 
その次に回って来たのは映画版”Flipper II”。これは沖に停泊した上の写真のようなクルーザーで何やら怪しげなオリエンタル・ギャングが密談をしている場面、その前を主演の兄ちゃんがジェット・スキーで横切っていくところなのだが岸から50m程度しか離れていない場所に停泊している船ってのは結構揺れるもんだ、、、こっちは”背広姿でお願いします”と言われたのでもう一人のベトナムおじさんと二人共スーツ姿で何やらゴチョゴチョと世間話し、、。しかし主演の兄ちゃんが3回も転倒、僅か3分程度のシーンなのに撮影は延々と2時間も、、、、すっかりこっちは船酔い状態。これは辛かった、、、まさかそんなに時間が掛かるとは思わず、エキストラごときが”船酔いし易いんです、、”とも言えないし、もう最期は歯を食いしばって船上に仁王立ちでした。
 
それから今度はオーデションを経由してセリフ入りの某コピー機のCM、僅か2行程度のセリフなんだがちゃんと暗記してオリエンタルおっさんを演じた、、。最初は”リポビタンD”で始まった華々しい芸暦もこの頃までだったか、、こっちが猛烈に忙しくなってしまい”リポビタンD”を飲む立場に、、、、で遭えなく芸能人としての生活は終焉を迎えてしまいました、まあ出会いもなかったし短い期間でしたが楽しい経験でした、、。