”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

引越しマニア(?)

もう12月になりました。日本は師走だと言うのに此方は今日から”正式に夏”とか、、テレビなどで”Official”と言われると笑っちゃう、、普通なら”暦の上で”と言いそうなもんだが、、一般的には春夏秋冬とは区別しないので勝手に12~2月が夏、3~5月が秋、6~8月が冬、そして9~11月が春って事らしい、。
 
それにしても街中はクリスマスの飾りつけ、そしてバーゲンセールに押し寄せる買い物客で連日ごった返しているらしい。何せ商店はこの12月だけで年間の売り上げの70~80%を売り上げるそうなのでそりゃ力も入るだろう。オーストラリア経済も失速が囁かれて数年が経過するが住宅販売が盛り返しているし新車販売も驚異的な伸びとか、、どうなっているんだろう?幾ら資源が豊富とは言え失業率は高いし政府支給の各種手当や補填金は半端じゃないハズ、、このところ高金利だった金融業は少し落ち着いて来てはいるがそれでも一般市民は年間4.5%くらいで定期預金が回せる、日本じゃとても考えられない現実なのだが、、それに総人口が2300万人程度なので税収入だって日本の比じゃないと思うがインフラ整備は盛んで、ブリスベン市内は建築ラッシュ、、で今度は地下鉄まで出来るとか、。
 
そんなブリスベンへ最初にやって来たのが89年、日本はまさにバブル最盛期だった頃、前年88年にはこのブリスベンで万博があり、かなり整備され近代的な都会に生まれ変わった頃だった。最初はスーツケース一個、日本とは行ったり来たりの生活を強いられ市内のウィークリーマンションへ、、そして92年、こりゃどうも長期戦を覚悟せねば、、で家族を呼び寄せた。
 
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こんな感じのコンテナに引越し荷物を満載して横浜から船便でブリスベン港へ、、。
 
その時に居住と決めたのが市内から車で10分程度離れた場所で空港にも近い場所、家族3人での生活だった。
 
其処には92年から95年までの約3年間、賃貸物件で大きな家だったのだが勤務先の会社の事情もありもっとちっこい家へ越したのが95年、地図でみると通りを隔てた場所なのだが小高い丘の上でその昔は石切り場だったとか、、車道を伝って行くとなると遠回りしないといけない、、歩けば3分程度だったが、。
 
イメージ 2その時は至って簡単引越し、こんな具合に3往復すれば終わった記憶がある。それが95年から02年までの7年間、この頃は愛猫x3、愛犬x1、、がいて結構忙しい毎日を送っていたっけ。
 
結局7年も住んでいたのだが大家さんが売りに出した、最初に”買うかい?”と相談されたのだがいかんせん高い、今となっちゃ後悔もするが、、イヤしていない、、高過ぎた。そこでこうなったら賃貸はもう止めるか、、でもすぐには買えないし、、で家庭協議の結果ご近所へ一年だけ引っ越してその間に買える物件を探す事にした。
 
イメージ 3その時の引越しは結構大変だった、、こんな感じのデカイトラックで、、まあ距離的には僅か7分程度の場所だったのが幸いした、、実は仕事の関係で電話番号が代わると困る、そこで同じ局番内で番号の変更をしないで済むと言う条件で物件を探した結果だった。
 
その引っ越した日が丁度9月12日、、、アメリカでは11日の朝、そりゃもう大変だった、、引越し屋の兄ちゃんが3人来てくれたのだが全員テレビに釘付け、、結局テレビは最後に運び出したのだが終わったのがもう午後遅く、普通の3倍くらいの時間が掛かってしまった。流石に運送屋も特別料金としてくれたのだが、、やはや忘れられない引越しとなってしまった、、、、。そして丁度1年後の9月24日に今度はやっと買った家に引越しだ。
 
毎回引っ越す度に荷物を減らし家具を減らしするのだが何年か経過すると又、同じ状態に減らしても減らしても又、増えて来ると言う悪循環は断ち切れない。そしてその02年から丁度又、7年が経過、、今度は愛猫、愛犬を亡くして失意のどん底、細々と対日本と貿易の仕事をしていたのだがそれも畳む事にして再度引越しを決意したのが09年である。
 
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もう庭仕事はイヤだ、、そもそも庭は要らない、、夫婦二人だけの居住場所があればOK、、で新しく探したタウンハウス物件、02年から7年間住んでいた物件が結構高く売れたのでついでに管理人業も買うか、、で決めたのが今、住んでいるところである。
 
その引越しを引き受けてくれたのがこの面々、実は引越し当日まで荷物を何処へ運び込めば良いのか決まらずこの業者さんには大変ご迷惑をおかけした。
 
結局近くのトランクルームを借りてそこへ家財道具一切を運び込みエリーはペットモーテルへ、、家内は友人宅、ワタシは別の友人宅と別々の生活を一ヶ月続けたのである。その7年住んでいた家が何と売りにだした翌々日に売れてしまい此方の管理人業などの法的処置が追いつかなかったと言うのがその理由だ。そんなでこのオーストラリアへ来てこれで6回も越した事になる。都合24年でこの回数はちと多いかな??どうも7年くらいで越しているような気もするのだが、、今度の引越し先は介護施設かな??うん、って事はあと3年で平均の7年だぞ、、さあ寝ずに悩めGuch、、、、、。