”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

近年のやりたい放題の邦題、、

これは我が家の書庫の一部ですが何処にも最近見られるようなヘンテコな邦題はないのだ。無論、そりゃ翻訳ものと映画のタイトルは違うじゃん、、と言われてもそもそも原作になっているケースだって多い訳だし出版元だって沢山売りたいが為にご苦心され、、試行錯誤して邦題を決めているハズだ。

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さてでは一体、どの時点で邦題が決まるものなのか、、翻訳本の場合は訳者さんの裁量で決まるケースが多いとか聞いた事はあるのだが、そりゃ翻訳するに際しては原書を熟読し内容は無論、単に英語やその他言語を日本語に訳すだけじゃなく主人公の葛藤やら境遇までを見極めて”これだっ、”と邦題を決めておられるのだと思う。

一方の映画の場合は配給先、しいては海の向こうのメジャーからの指示もあるだろうが担当者レベルで幾つか候補を挙げて最終決定は支局長、、ってのが相場じゃないだろうか?その昔、勤めていたホテルの顧客にある大手配給元の支社長が居てその辺りの状況はこっちも興味があったのでかなり詳しい話を聞くことが出来た。しかし彼の場合はアメリカンで日本語は”コンニチワ”程度、、なので邦題に関しては部下がそれそこやりたい放題だった、、日本の洋画マーケットは他国に比べて一種独特尚、特種な環境なので本社からも”忠実に訳せよ”とは言ってこないようだ。まあそれがそのまま”リバー・ランズ・スルー・イット”みたいな手抜き放題のタイトルになったとしたら誠に残念だ。実はこのベストセラーは翻訳時に渡辺利雄が”マクリーンの川”と言うこれっきゃない程に的確な邦題を付けているのだ。なので公開時に何でこれじゃいかんかったのか??

イメージ 1こんなケースはごマンとある、、ディック・フランシスが長い間書いた”競馬シリーズ”、、これは何れも原作と邦題とは一致もせず関係もないのだ、それを訳者の菊池光一はシリーズ全てを漢字二文字に置き換えている。これが又、実に的確で原作者のディック・フランシスには悪いが邦題が勝っているのだ、、。



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これは何れも私がこよなく愛するローレンス・ブロック原作の翻訳もの、、田口俊樹が全シリーズ翻訳を担当されているが何処にも舌を噛みそうなカタカナ語の邦題はないのだ。

因みに私立探偵、マット・スカダーシリーズに関しては
翻訳時に付けられたのが”獣たちの墓”、原題は”A Walk Among The Tombstones”と言う。そのままじゃ”墓の周りを徘徊する”って事になりタイトルにはならない、、そこで付けられたのがこれ、。しかし今度は映画化され公開された時点では”誘拐の掟”(14年)となっているのだ。

まあ田口さんには悪いが映画の内容から行けばこれも悪くはない、しかしこうなるともう全く原作の趣旨、、作者が言わんとしている位置からは遠く離れている、、それに肝心の舞台になる”墓場=墓地”が何処にも入っていないのだ。

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こっちのシリーズは同様に好きなロバート・B・パーカーのスペンサーシリーズだ。

これも実に奥が深い、翻訳されているのは菊池光でやはりカタカナのタイトルは見当たらないし必要最小限に抑えられているのだ。

う~ん、、熱く語り始めたがさて何処へ落とそう、、そうだった、、。訳者さんがご苦労されて実に的確な邦題を捻り出しておられる、ならば映画の配給元もガンバれよ、、出来ない訳はない。”最近は洋画は邦画に押され気味で、”、とか”若者にはそんな前時代的な日本語のタイトルは見向きもされません”、、、等と言い訳は聞きたくない。端的に言えば”日本人なんだからもっと邦題は大切にしろよ”である。