”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

後悔などあろうはずがない、、by イチロー

先日、引退発表時の記者会見でイチローさまが放った一言である。国を代表する国会の諸先生方は原稿なしじゃ一時間も答弁出来まい、それにこんなインスピレーションも残念ながら持ち合わせてないだろう、。

45歳まで現役を続けプロ野球界の常識や日米両国で各種記録を塗り替えて来た第一人者だからこその重みのある言葉だ。実年齢では彼のチチローを超すジジローとしてはもうYahooのブログも終了する事だし特にこれまでの記事を移転させる気力もないので勝手気ままにこのイチローのフレーズを自分にあてハメてみた、、。

学校出たてのホヤホヤ時代、ドラフト枠外で乞われて入社したのがホテル業、年間出塁率(無遅刻無欠勤)は99%を越し最初の一年、所謂ルーキー時代は始末書一枚書いた事はない。社内のスピーチコンテストでは優勝を飾り(翌年からはもう出るなと人事部から厳命)、必死こいて原稿を準備したものの試合当日その原稿を紛失、今回のイチロー並みに空でマイクの前に立たされたんだった、。

イメージ 1そんな事をしている間に3年が経過、社内異動で裏方から表舞台へ、防御率は悪かったが打率は何とか3割を維持、新設された営業部へ配属、そして大きな転機がやって来た。もう5年目に入る頃だったが一度も二軍へ降格される事もなく先発レギュラー要員として海外の営業部門へ、20代後半で一番フットワークが良い時期、そりゃ盗塁だって多かった、仕事が終われば飛んで帰っていた時期だぁ~、。

そんな時、別に年棒に不満があった訳じゃないのだが予想もしなかった海外の球団事務所へのトレード話が持ち上がった。拒否権などあろうはずがない、、そして新天地への異動(移動)となりました。結局その海外リーグに在籍する事、6年のシーズンに及び当時の監督に直訴、もうそろそろ日本のリーグへ戻してくんろ~、、と掛け合った。

幸いに願いは叶ったものの今度は直属の上司が社長と言う立場、、それからの3年間はよくもまあ胃潰瘍にもならずに堪えたと自分を褒めてやりたい。無論週末なども関係なく主催試合があるしデイゲームからナイターそして巡業と続き、この3年間は人生で一番映画館からは遠く離れていた時期かも知れない、。

それから通常の社内トレードで再度海外リーグへ拒否権なしの出向、幸い行ったきりじゃなく行ったり来たりの生活が又、2年半、、何とか打率も3割近くはキープしていたのだが敵の防御率が最低水準、守備もお粗末でお話にもならない、挙句資金調達がままならぬ事態に、。もうこれじゃ味方陣営も付き合ってられないとばかりホテル建設から撤退する事でコールドゲームの成立だ。

行き場を失くした背番号63を付けたguch、オールラウンドプレイヤーは此処で一大決心を迫られるのでした。年棒調停を経て海外リーグへの移籍である、、。家族の賛同もなしに決めた時は行く時さ、、で今度は豪州リーグへの挑戦となったのです。

ああ、もう疲れた、一気に此処までやって来たが此処までが”後悔あろう、、”くらいでインターミッションです。さて続編となるかどうかそれは気分次第って事ですかね??