”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

”東京暮色”(57年)

言わずと知れた小津安二郎監督による映画である。ボクの中では長い間、エリア・カザン監督、ジェームス・ディーン主演の”エデンの東”(55年)を日本風にアレンジした邦画だと思っていた。

東京物語”(53年)に置ける作風とはかなり違って端的に言えばかなり暗く決して後味の良い映画ではない。主演の原節子を中心に女優陣は山田五十鈴有馬稲子杉村春子などに対して、父親役が笠智衆で撮影時には53歳と今の感覚では若過ぎる現役を退いた銀行の監査役で典型的な昭和のお父さんを演じている。

小津安二郎は1963年に僅か60歳で生涯を閉じているが東京の深川生まれ、その生い立ちから舞台背景を東京に設定した演出が常でこの映画はモノクロで撮った最後の作品だった。

個人的にはこの映画の前、”東京物語”(53年)、それ以前の”お茶漬けの味”(52年)、”早春”(56年)、”浮草”(59年)、”小早川家の秋”(61年)、そして”秋刀魚の味”(62年)はかなり印象に残る名作として記憶されている。

 

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現役を退き監査役として銀行で働く杉山(笠智衆)は次女の明子(有馬稲子)と世田谷の一戸建てに二人暮らしだ。そこへ転がり込むようにして長女の孝子(原節子)は夫との折り合いが悪いと言って、2歳の娘を連れて実家に戻って来ている。

明子は英文の学生だが、遊び人の川口(高橋貞二)など素性の良くないグループととつきあうようになり、その中の一人である木村(田浦正巳)と肉体関係を持ち、密かに彼の子を身籠っていた。中絶費用を手に入れるため、明子は叔母の重子(杉村春子)に金を借りようとするが断られ、重子からこれを聞いた周吉はいぶかしく思うが、明子は誰にも本当のことを言おうとしない。

明子は木村に相談するが彼にはまったく誠意が見られず、その後木村は明子を避けるようになる。そんな時にグループのメンバーがしばしば利用している雀荘の女主人、喜久子(山田五十鈴)が自分のことを尋ねていたと聞き、彼女こそ自分の母ではないかと疑うようになる。母はかつて周吉が京城ソウル)に赴任していたときに周吉の部下と深い仲になり、出奔していたのだった。

ある日、重子が茂吉と孝子を訪れ、街で偶然喜久子と出会って近況を聞いたと告げる。孝子は雀荘を訪れて喜久子に会い、喜久子が母親であることを明子には言わないでほしいと頼む。

明子は周吉の友人に嘘をついて借りた金で中絶手術を受けた後、喜久子がやはり母親だったことを知る。自分が本当に父の子なのかを疑っている明子はそのことを母に質す。母はあなたは本当に私たちの子だと言うが明子の疑いは晴れない。

すべてに絶望した明子は自殺を企て、踏切で列車に飛び込む。病院のベッドでは「死にたくない」と繰り返した明子だったがまもなく死んでしまう。数日後、喪服姿の孝子が雀荘を訪れ、喜久子に明子の死を告げる。

その後、孝子はもう一度生活をやり直そうと夫のもとへ戻る決心をする。一方喜久子は東京から離れるため、共に雀荘を経営していた中年男、相島(中村伸郎)の誘いに乗って室蘭へと移転してゆく。byウィキ

 

っとそんなお話で何とも結末はスッキリしないのだ、、それを潜在的に知っていたのかこれまで見ないで来たのだが折角WOWOWが配信するなら、、と見てしまった。しかし長かった事は忘れていた、、2時間40分もの長きに渡りすっかりオレの就寝時間は過ぎていた。やっぱりジェームス・ディーンの方がスキだなぁ~、、。