最近には珍しく邦画を見た、“東京タワー、オカンとボクと時々オトン”と言う題名なのだが、、普段何でもない場面でも涙腺が誤作動して困るのだがこの映画、サッパリ作動してくれない、、。見終わった後で知った事だが国内では原作を読んだ人もだが上映中も館内はもうすすり泣き状態とか、、。どうもこれは主人公のあのグータラさが影響しているような、学生時代にあれだけ母親を頼りにしていてその日暮らしのダメボクが母親の最後を看取る、何か釈然としない主人公の生き方で共鳴出来なかったと言ったら言い過ぎか。それにオトンの存在がイマイチ良く判らないのである。
丁度同じ日に“Stepmom”(98年)、(邦題が何と“グッドナイト・ムーン”だと、随分と酷いじゃありませんか、配給元!! 意味は判るが何でそうなるの?)を見たのだが此方も同様の主題、ガンに侵され余命いくばくもないスーザン・サランドンをメインにした映画。日、米、同じような主題だが見る観点が全く違う、此方のオトンは別の若いジュリア・ロバーツと同棲していて元妻は一人豪邸住まい。二人の子供は何故か父親が引き取っておりその子供達&母親と所謂“継母”にあたるジュリア・ロバートとの葛藤を描いたものである。まあ洋画ならこうなる、と言う描き方で先の“東京タワー~”とは同じ主題でもそのストーリー展開は全然違う。
此方も涙腺が作動するには至らなかったがやはり脚本、設定、撮影と比較してしまうとその差は歴然だ。まあ大金をかければそれだけ良い映画が出来る訳でもないが相撲で言えば前頭対大関の勝負であろうか。しかし涙腺を作動させるには感情移入が一番、過去或いは現在の自分を照らし合わせてアタマが勝手に作動すると決めているのだがつい最近“グラントリノ”で何気なく出て来るデイジー嬢(ワンコ)にいとも簡単に泣かされたおっさんは何でこの二本とも泣けないのか、、自分でも納得出来ない。
DVDも所有し毎年必ず一回は見る映画がある。 それは“地上より永遠に”、毎回モンティ・クリフトがシナトラを思って吹くトランペットのシーンはもう情けない事に反射神経だと思うがその場面になる前から涙が止まらない、、、もう何十回と見ていても涙腺が同じ反応を起こす。こんな半世紀も前のモノクロ映画に反応して同じ日本人の感性で描かれた話題作に動かされない理由は何であろう、、、。