”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

ショーン・コネリーのこれには参った!スピーチ

これは少し前のものだがハリウッド特派員(ゴールデン・グローブ)でショーン・コネリーがライフタイム・アチーブメント、功労賞としてセシルBデミル賞を受賞した時のものである。


以下が彼のスピーチの翻訳です;

ハリウッド海外特派員協会の方々、今夜は誠に有り難う御座います。この功労賞は私にとっては特別な名誉です、マイケル有り難う。マルチタレントと言う言葉は我々の世界では良く使われる言葉でありマイケルはまさにそれに合致した人物です。多くの才能ある知り合いのなかで多分マイケルくらいでしょう、片手で仕事をしながら片方の手で盲腸を切り取れるのは、、。

私は皆さん方と同じ様にこの賞に彼の名前が継承されているご本人、セシルBデミルが制作した映画を見ながら育って来たと言っても良いでしょう。彼は映画を制作する上で興行的に成功させる重要な秘密を熟知していました。それは観客がより自然なテーマで何を望んでいるか、訴えるモラルとは何かその伝えんとする事は、そして沢山のセックスシーンに暴力的な描写などがそうでした。そして制作者としてより卓越していた才能はより困難な題材が一般社会では大いに受け入れられていた、それをちゃんと理解出来ていた事です。

私はこれまでに沢山の映画に出演して来ました。なかには出た事を忘れているもの、又は出た事さえ忘れたいと思っているものや忘れようと努力しているものもあります。まあしかしこの不思議な経歴とでも言うか演技歴では所謂エキゾチックな場所への旅行、それに出会った数多くの興味ある方々、1ダース以上ものキスをした美しい女性達、そうした経験のなかでこれは有難い事に非常に多くの収入を得て来ました。これらについては感謝の気持で一杯ですがそうは言っても誰かを告訴しないとは約束は出来ませんが、、。

その昔、未だ駆け出しと言っても良い頃ですがご自分が何を言っているのかを理解しているはずの著名な人物からちゃんとスピーチレッスンを受けそのアクセントを矯正するように言われました。そうすればキルトばかりを着ている役柄以外にも役が回ってくるかも知れない、そうなればアメリカの観客も私が何を喋っているのか理解出来るようになる、、ところがどうです、こうやって皆さんの前でもお判りでしょう、結果的にはその忠告を聞く事をしませんでした。

そう言えば過去にスコットランドの著名なヒーローを描いた映画がありましたね。一つは“ロブロイ”、これはアイルランド人によって演じられ、“ブレーブハート”はアメリカン、オーストラリア人によって演じられています。そして双方共に素晴らしいスコットランド振りでした。即ち、私が言わんとする要点は俳優諸君は自身に与えられた役柄を精一杯演じる訳でそれを見た観客が深い感銘を受ける、、それが我々に取っての真の賞賛であります。

元来は周囲のスタッフがパンチを繰り出す格闘技の場面や撃ち合い、カーチェイスやクラッシュの場面の合間に仕事に精一杯励む事が一番重要な事です。男女の関係でも本当はそれを演じる双方の気持の揺れ動き、演技力、それを観客に判らせる事が出来てこそ初めて観客が映画館へ足を運んでくれお金を払い、我々の映画を見てくれのではないでしょうか。言い換えれば私の個人的な要望としては観客に大いに“揺れ動いて欲しい(ステアー)”、“混ぜ合わせ(シェークン)”はダメです。これからもこの賞に恥じないよう、色々な事に関わり精進して行きます、勿論引退以外の事においてですが、、皆さん有り難う、、。


これまで色々な映画賞で好きな俳優さんや著名人が賞を受賞している訳だが多くは事前に候補とはなってはいてもスピーチが本当に必要になるかどうかはその瞬間まで判らない、、この彼の場合は事前に受賞が判っているのでそれなりに準備も済ませ時間も想定し余裕で望んでいるのが利点だが、、例えスピーチライターがいてその原稿を全て書いていたとしてもこの彼のウィットに飛んだ、そして自己主張が通るスピーチはそれがオスカーを受賞するような俳優さんであっても見事なものである。数多くの授賞式を見ているがこの彼のスピーチはダントツで輝る素晴らしいものである。

実はもう古い映画だが”プレシデオの男たち”で軍人を演じ共演にメグ・ライアンが娘役で出ているのだがこの最後のシーン、軍服姿で親友の死を悼んで墓石の前で軍旗を折り、弔文を読むシーンがある。カメラは一切バンもせず恐らくワンカットで彼のスピーチ場面を撮影したものだと思うが劇中頬を一筋の涙が落ちる、、数多い映画のラストシーンでもこの場面のショーン・コネリーは素晴らしい。
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淡々と過去を振り返り友人との思い出を語るシーン、これがこの彼のスピーチにも反映されているような、、此方はカットなどなしで台本なりスピーチの原稿はあるにせよ一度も淀む事なく映画の一場面が如くユーモアを交えて観客を楽しませ、我々にも彼の魅力を再認識させてくれた。自分だけのものにしておきたい取って置きの名場面だと思う、、。