”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

ハリウッドに君臨したブレーク・エドワード監督

この人が監督をした映画を見た事がない映画ファンはいないだろう、、それ程に数々のヒットを飛ばしハリウッドで思う存分、、半世紀以上の長きに渡って活躍した”映画人”はそれ程多くはいない。その人が先週15日に88歳の生涯を閉じてしまった。
 
イメージ 1何と言っても我々おっさんの世代にはこれである、、ホリーを演じたオードリーのヨーロッパ的雰囲気を一転、洗練されたニューヨークっ子らしさに変えヘンリー・マンシーニと組んで”ムーン・リバー”まで大ヒットさせた人である。この時まだ39歳の新鋭監督である。
 
実は俳優としてスクリーンには40年代、数多く出ているのだがあまり演技者としては頭角を現す事もなく役名もロクにないエキストラに近い端役専門である。それが54年にTVシリーズを手掛けてから認められるようになり”ピーター・ガン”(59年)では脚光を浴び61年には遂に”ティファニーで朝食を”で大成功を収める。
 
酒とバラの日々”、”ピンク・パンサー”シリーズと来て”グレート・レース”、”パーティ”、”10”などを手掛けている、、。中でもピーター・セラーズとのコンビは有名で”ピンク・パンサー”シリーズを含め合計8本も制作している。他には音楽担当のヘンリー・マンシーニとはやはりゴールデン・コンビを結成、多くのヒット曲がある。監督だけには留まらず脚本家、製作者としても多くの作品を世に出しまさにハリウッドの住人であった。
 
ジャック・レモントニー・カーチスも常連さん、69年に結婚したジュリー・アンドリュースを主演に据えた映画も撮っている。双方再婚組だが69年に結婚してからはこのお二人40年以上に渡りおしどり夫婦としてハリウッドでは珍しい存在だったらしい、、、。
 
イメージ 2これは現役俳優の頃、多分40年代後半だと思うのだが、、。
 
イメージ 3これは多分監督業に忙しい頃、”ピンク・パンサー”の時代なので70年代後半か、、、。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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ジュリー・アンドリュースとのツーショット、、、もうかなり晩年だな、、でも人生88年、好きな事をやり遂げて最愛の奥様に看取られて、、言うことない。どうやったらそんな人生が送れるのかな、、ボケちゃえばもう自分じゃ判らないけど、、残されたほうが辛い、痛いのは到底我慢出来ないし瞬時にいなくなるってのが理想。まあ寝ている間に逝っちゃってもう起きて来ないってのがおっさんとしては理想なんであるが、、芝刈り中に心臓発作とかプール掃除中に落っこちてプールに浮いていた、、、てのはイヤだし、、ドン・コルリオーネみたいに散々悪いことをしていても孫と遊んでいる最中に庭で息絶える、、何て贅沢は許せるかな、、。