MM、、、古い話だが野球ファンにはこの”ダブルM”は絶対的にヤンキースのロジャー・マリスとミッキー・マントルのMM砲、(これが継承されて日本では王と長嶋をON砲と呼ばれていた)そして映画ファンにMMと言えばマリリン・モンローだろう、、そしてもう一歩踏み込むともう一人忘れてはいけない人が、、。
こんな雰囲気の俳優さん、生まれは1924年そして96年に72歳で亡くなってしまった。このスチールで判る人はかなり限定されるだろうな、、、恐らく40代以上の方でも難しいかも知れない。現にオーストラリアでは残念ながら誰も知らなかった、、おじいちゃんおばあちゃんでさえ、。
フランス人は流石に知っていた、でもアラン・ドロンより知られてないらしい、カトリーヌ・ドヌーブと一時一緒だったんだけどな、、言うと”あっ、聞いた事があるわ”程度、そんなもんかな、、こりゃむしろ日本での知名度が断然高いかも知れないな、。
イタリア映画界きっての名優と言っても良いだろう、この人、MMとはマルチェロ・マストロヤンニである。
初めて映画館でお目に掛かったのは”甘い生活”(59年)だろう、、その後”汚れなき抱擁”(60年)、”イタリア式離婚狂想曲”(61年)、、そしてソフィア・ローレンと共演した一連のイアリア映画、、これらがやはり彼の評価を一段と輝くものに押し上げて行った。そんな意味では彼の映画にはソフィア・ローレンは欠かせない。その後フェリーニ監督の”8 1/2”(63年)、デ・シーカ監督で”ああ結婚”(64年)、更には”ひまわり”(70年)、ヴィスコンティーニ監督で”異邦人”(68年)と全てが名監督の手になる名画への出演だった。
そして最後に映画館で見たのは”マカロニ”(85年)と言う映画、これはジャック・レモンをイタリアに招いて制作された一作だった。戦中、アメリカ兵としてイタリアに駐留していたジャック・レモンが当事の恋人探しをする、その恋人の兄貴がMMで彼が書いていた手紙のお陰でその村ではジャック・レモンがどうした事か英雄として扱われてしまうと言うイタリアの人情コメディ映画だった。こんな映画にはこの二人以上に適役はいなかった、、。
この二人は丁度10歳違い、60年代初めの頃、一番脂の乗り切った頃でソフィア・ローレンも綺麗だった。実はマルチェロは”世界の始まりへの旅”が最後の出演作、公開は亡くなった翌年の97年なのだがこの頃はもう此方がオーストラリアに居住していて遂に見る機会もなかった、。
こんな雰囲気が一番我々が親しんだ頃の映像ではないだろうか、。実生活では50年にイタリア人女優のフローラ・カラベラと結婚、60年代初めに別居したのだが結局彼が亡くなるまで法的には正式な妻として認知されていたそうな、、。
96年にパリの病院で最後を看取ったのはこのアンナとカトリーヌ・ドヌーブだったと言うのは有名な話、正妻は99年に亡くなるのだが当事病院には居たのか居なかったのか、、其処までは判りませんでした。
こんな素晴らしい映画人生を送れたMMは果報ものだよ、しかも最後”両愛人”に看取られ、お嬢さんも二人いたそうな、そんな”素晴らしきかな、嗚呼人生”なら変わりたかった、、、、男子たる者理想の幕引きじゃないかぁ?? オーストラリアじゃ”名画劇場”でも旧作専門チャンネルでも彼の映画を見る事が叶わないのが残念だ、、。