”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

”遠すぎた橋”(77年)

イメージ 177年に制作された戦争大作、オールスターキャストでノルマンディ上陸後のヨーロッパ戦線を描いている。

原作は”史上最大の作戦”と同じコーネリアス・ライアン、此方は”史上最大”から14年も遅れて映画化されている。当時は何で映画化にそんなに時間がかかったのか不思議だったのだが今回改めて鑑賞してその理由が判った。

メインに配役されている人たちはそれこそ主演で一本撮れる俳優さんばかりだし監督はリチャード・アッテンボローとあって公開当時は映画ファンには見逃せない一本だった。

山のようにある戦争映画、ヨーロッパ戦線の終焉が45年の春だったとすると63年に公開された”史上最大の作戦”は戦後僅か20年も経たずに制作されている、、って事は歴史の生き証人も多く存命していたし軍服やら重機関連にしてもかなり本物に近く(ホンモノもあった)信ぴょう性があったように思う。最近の戦争映画、、例えば”フューリー”は14年に制作されているので書き残された”史実”はあっても実際に戦争体験を伝える”アドバイザー”はかなり少数だったのではないか、その分、映像にはCGを使い臨場感は本物以上だったのだが、、。

そのヨーロッパ戦線の後半だが、時系列に並べるとこんな風になる、、;

史上最大の作戦”(63年)が44年6月6日のノルマンディ上陸作戦が主題になっているのでその前後一週間程度のお話だ。
プライベート・ライアン”(98年)はその後の6月後半、、ライアンを探してトム・ハンクスがこの作戦に招集されていた。そして海岸から上陸して激しい戦闘に巻き込まれていく、、。
遠すぎた橋”(77年)はこのあと9月である。

ノルマンディー上陸作戦から3ヶ月後の1944年9月、潰走するドイツ軍を追撃していた連合国軍の補給線は600キロにも伸びきってしまった。連合国軍は戦力を二分し、パットン将軍率いるアメリカ第3軍は南方ルートで、モントゴメリー元帥率いるイギリス第21軍は北方ルートで進軍していたため、どちらの補給を優先するかの問題も浮上していた。シチリア上陸作戦以来、パットンに強いライバル心を抱いていたモントゴメリーは、後の歴史家にモントゴメリー最大の汚点と言われる「マーケット・ガーデン作戦」を立案、連合国軍最高司令官アイゼンハワー将軍を説得する。

アイゼンハワーは政治的配慮から、結局この無謀な作戦を承認する事となる。 この作戦は、3個空挺師団英第1英語版米82米101)と1個空挺旅団ポーランド第1英語版)が敵中深く降下し(マーケット作戦)、ベルギーオランダ間の5つの橋(OversteekWaalbrug、その他に移動式Bailey bridge)を占領、橋頭堡を築くことで機甲軍団(英第30)が駆け抜けて(ガーデン作戦)、一気にライン河を渡りオランダを解放。ドイツの喉元にクサビを打ち込んでベルリンに侵攻し、クリスマスまでには戦争を終らせるという思惑だった。 連合軍は、天候や情報の錯綜に苦しめられながらも、第3の橋の占領まで成功する。しかし、第4の橋の攻略の頃から、作戦の無謀さが露呈し始め、戦闘は悲惨さを増していく。by Wiki


特攻大作戦”(67年)、これはナチの将軍連中が集まるお城を”ならず者”軍団が襲撃し敵の戦意を消失させる戦後楽大作だったが時期的には44年の春先だった。
バルジ大作戦”(65年)、こっちは史実を基に制作されたパットン戦車軍団の重量部隊同士の対決だが時期は44年の12月、もうかなりナチスも追いやられ、、風前の灯火状態でのお話。

そんなで過去に映画化された戦争映画を上げていくとキリがない、、どれにも事実、フィクションの違いはあっても終焉に向かって無謀な戦いを挑むドイツ軍対連合軍が描かれていた。そしてこの”遠すぎた橋”なのだが歴史的にはナチスの敗北、降伏で終わった大戦なんだがこの橋を巡る攻防だけは連合軍の作戦ミスで誠に残念な結末に終わっている。

確かに見終わった後の印象も悪いしまさか事実を曲げて映画化する訳にはいかんだろう、、だから映画化に時間がかかり、しかも評判は先の同じ原作者が書いた”史上最大の作戦”とは違って辛口採点になっているような気がする。


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