”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

”エルヴィス” (22年)

その”エルヴィス”だがボクら世代にはまさにリアルタイムのロックンローラービートルズが出て来る前の王様である。恐らく監督のバズ・ラーマンよりオレの方が断然世代は近いし実際に見聞きしていた回数では負けてないぞ。

 

 

そのラーマン監督は生っ粋のオーストラリア人で1992年に”ダンシング・ヒーロー”(”Strictly Ballroom”)と言う映画で監督デビューした。この時の主演、ポール・マッキュリオに今回のプレスリー役に抜擢されたオースティン・バトラーがそっくりだと思ったのはオレだけか?

 

そして1996年にはロミオにアロハシャツを着せて斬新な演出で”ロミオ&ジュリエット”を制作、監督しボクらシェイクスピア・ファンの度肝を抜いた。その後、”ムーラン・ルージュ”(2001年)で映画界の頂点へ、、このミュージカルではニコール・キッドマンが主演の”椿姫”を演じ素晴らしい映像美と演出、音楽で後世に残るミュージカル・レジェンドとして絶賛されたのだが、、。

 

更に7年後には満を期して再度、ニコール・キッドマンヒュー・ジャックマンと言う当時人気絶頂のオージーを主役に”オーストラリア”を制作、監督、公開したのだが大規模な宣伝、オーストラリアの各地での大掛かりプレミアを行ったにも関わらずコイツが完全にコケッコーだった。

 

映画の構想はかの名作”風と共に去りぬ”風の壮大なスケールでオーストラリア大地を背景に第二次大戦の最中、主演二人のラブ・ロマンスを描きたかったものの興行的にはオーストラリア国内でも大失速、ラーマン監督はこの”エルヴィス”で終盤トム・パーカー大佐が直面した破産一歩手前まで追い込まれてしまったのだ、、。

 

それでも”華麗なるギャッツビー”(13年)ではちょっとばかり持ち直し再度登板したデカプリオに助けて貰ったものだがその後メジャーな企画はなくテレビシリーズの企画、監督を手掛けて来た。

 

エルヴィス・プレスリーの伝記映画と言う企画は2014年頃からあったようだがバス・ラーマンが抜擢され全編、実はオーストラリアで撮られている。パーカー大佐が病床で人生を振り返る所から幕開けと言われ勝手に”アラビアのロレンス”風かな、、?っと思ったオレも悪いのだが主役は殆どパーカー大佐を演じたトム・ハンクスではなかろうか?

終盤ラスベガスの舞台に立つプレスリーがショウの終わりにパーカー大佐を紹介する場面で”ミスター・カーネル・サンダース”と紹介したのにはズッコケた、、。でもラーマン監督の切れ味がイマイチで結局、ミュージカルでもなし、伝記ドラマでもないし中途半端な気分になっちまった。

 

仮にアメリカ南部を良く知る監督とかクリント・イーストウッド監督だったら全く違う映画になっていたんだろうか?同年代に活躍した”ジャージーボーイズ”を思い出していた。何せ”キング”の映画なんだしボクらの正真正銘のアイコンだ、、もう少し衝撃的な歌唱場面が欲しかった。結局、謎の人物パーカー大佐(トム・ハンクス)の成功と堕落って事になっていた気がするのだが、、。

 

“マイ・ニューヨーク・ダイアリー″ (20年)

この邦題じゃオレにはちっとも鑑賞意欲が沸かない、、何処となく”真昼の情事”、暴露モノって雰囲気だし、、っでそのまま録画されていたものを内容を確認する事なく放り出してあった。でもお気に入りの英国ドラマも昨日シリーズ3が終わってしまい映画も食指をそそるものが無くコイツを見始めた。

そしたら原題が”My Salinger Year”だとさ、、こりゃひょっとしてJ.D.Salinger に関連するお話しでないかい?ボクら世代で少なからずともアメリカ文学に親しんだ読書ファンには”ライ麦畑でつかまえて”の作者って事は百も承知だ。こりゃ見ない訳にはいかんぞ、そして1時間40分後、かなり満足して見終わった。

 

映画の元ネタになっているのはジョアンナ•ラコフと言う作家志望の若い女性が2014年に書いた”サリンジャーと過ごした日々”である。実際に経験した彼女のお話でカリフォルニアから遥々ニューヨークへやって来たジョアンナ(マーガレット•クリアー)が出版社に採用され社長のマーガレット(シーガニー・ウィーバー)の元で鍛えられていき最終的には独立してしまうサクセス•ストーリーなんだが、、。実社会では人嫌いで知られインタビューは勿論、人前にも出ないと言われそれが伝説化していたサリンジャーご本人がその彼女に多大な影響を与えるのである。

マーガレットが奮闘している出版社はマンハッタンに拠点を置く古手で信頼の置ける会社で大物作家殿の代理人としてサリンジャーやアガサ•クリスティもお得意さんだ。その出版社気付けでサリンジャー氏へのファンレターが大量に寄せられて来る。ご本人は一切それを読みもしないし目も通さない、そんな事にも対処するのが出版社の役目でジョアンナが担当して出来上がった書式で返事を出すように言い付かる。

作家志望のジョアンナとしては本を読んだ読者がいったいどんな感想を抱くのか興味津々で毎日そのファンレターに対応するのが楽しい、、しかし彼女自身はサリンジャーの作品は読んだ事がないのだ。劇中、冒頭から中盤までそんなジョアンナの奮闘ぶりが描かれて行くのだがある日、マーガレット宛に入った電話、それがかのサリンジャーである。それをきっかけに電話で話すようになったジョアンナは彼から作家志望者としての心構え、題材を探し毎日を過ごす方法など基本的な作家としての心得を学んで行く、、。

現実社会では2010年に91歳で生涯を終えたサリンジャーなので当然、映画の背景はそれより断然前の事になる。チラッと画面に入るサリンジャー氏は断然姿も声も若いのだ。

他にも色々な映画で作者、出版社、印刷元、販売元の相互関係が描かれるケースがあるがこの映画では有能な作家を発掘するのは出版社の仕事、そして作家の代理人として執筆された書籍が店頭に並ぶまでの複雑な交渉ごとから継続して執筆を依頼し販売して行く使命がある。そんな実情を垣間見るだけでも読書好きには面白かった。

 

確かに小品ではあるがジョアンナを演じたマーガレット・クリヤーが初々しくて共感が持てる。気になって調べたらなんて事はないアンディ・マクダウェルのお嬢さんだった、、言われてみれば似ているよ、。

”ザ・コントラクター” (22年)

スター・トレック”、”ワンダー・ウーマン”や”ジャック・ライアン”にも出ていたクリス・パインが主演のアクション映画、監督はダレク・サリーと言う人でこれが初めての英語で撮った作品とか、、。脇役にキーファー・サザーランド(”24”のジャック・バウアーがこんなところにいた)で何時の間にか出番が終わっていた。

以下はウィキからの手抜きコピー、、;

海兵隊から不本意ながらも強制的に除隊させられたジェームス・ハーパー(C・パイン)は、彼が知っている唯一の方法で家族を支えるために準軍事組織に参加することを決める。ハーパーは、謎の脅威を調査するためにブラックオプス任務で、精鋭チームと共にポーランドに赴く。最初の任務を終えたばかりのハーパーは、自身が東ヨーロッパで孤立し、追われていることに気づく。そこでは、帰還し、自分を裏切った者たちの真の動機を明らかにするために、生き延びるために戦わなければならない。

 

 

っとまあウィキに投稿したヤツも随分手抜きだなぁ~、、。まあかく言うオレだって見終わって翌日にはどんな映画だったかすっかり忘れているので文句は言えない。

しかしまあ”コントラクター”までカタカナか?”下請け業者”って事で自分でも散々利用させて貰ったが現実社会で下請けに任せるとロクな事にならない、、。特にオーストラリアみたいな分業制度社会で成り立っているところでは責任の所在が掴めず使う側ではそれなりの覚悟をして指名しないと後々、そのコントラクターの後始末を更に別のコントラクターに頼らざる負えない。まあこの映画でもそんな展開だったので、、。

邦題には”アカウンタント”(会計士)もそのままだし”ポーンブローカー”(質屋)なんてのもあったっけ、。タイトルを忠実に再現するのも良いのだがもうそろそろ配給元はアタマを捻って”おっ、これは見たいぞ、”、みたいな邦題を付けて欲しいなぁ~、。

でもスティーブン・セガールの映画には全部”沈黙”をつけるってのもアホらしい。だからスティーブンもあんなになっちまったんだが、、何せ断髪式時の土俵の白鵬よりデカかった。

 

 

 

”リドリー ~退任警部補の事件簿~” (21年)

原題は”Ridley”と主人公の姓名だけだがつい昨年、イギリス本国で放送された本格的犯罪ドラマだ。これまでの刑事モノとは違い主人公が妙に私立探偵っぽくてイギリスものとしては珍しくハードボイルドっぽい作風だ。

 

主人公を演じているのはエイドリアン・ダンパーでフルコーラスで渋い歌声まで聞かせてくれる。その設定が変わっていてこの早期退職を勧告されたリドリーはジャズクラブの50%を持つ共同オーナーでこよなくジャズを愛する元刑事として活躍するのだ。

ある事件で愛妻と娘を亡くし失意のどん底だったがかつての部下が昇進して所轄の担当署長である事から顧問として捜査に手を貸してくれとの要望で難事件に対処する事になったようだ。全部で8話あり毎回、前編、後編(夫々一時間)で完結する。

 

実は最初の2話を見逃したのだがある事件で容疑者を逮捕、終身刑が言い渡された人物と前後してリドリーが不在の日に自宅が放火されあっと言う間に全焼してしまう。ところがあろうことか全く関係のないリドリーの奥さんと一人娘が焼死してしまいその犯人探しがメインプロットになっていた。

そして逮捕され刑務所にいる犯人の弟が別の殺人事件で容疑者となりその真相究明が付録みたいな形でリドリーの捜査対象になって行く。孤独なリドリーを象徴するようなジャズのメロディーに乗って物語が進んで行くのだがこの辺りはイギリスで”ヴェラ 信念の女警部”や”バーナビー警部”を手掛ける脚本家が担当しているだけあって手慣れたもので最後の真犯人確保まで一気に見せてくれる。アメリカの作品で出て来るジャズとは微妙に違うのだがやはりこんな孤独な主人公にはジャズが良く似合う。

シーズンが4話くらいだとあっと言う間に見終わってしまう。さて次のシーズンはあるのか、、もうこれっきりなのか?もっと継続しないかと心待ちにしているのだが、、

 

 

 

 

 

 

 

“昼下がりの情事”(57年)

これはその当時の洋画ファンにとってはなんと言っても衝撃的な邦題だ。しかも情事とは全くもって程遠い存在だったオードリー•ヘップバーン主演である。その「情事」のお相手はこれ又、清廉潔白、悪を挫く正義の味方、ゲイリー•クーパーだ。

確か水野晴郎氏だったか淀川長治氏13歳どちらかがあのアン女王を演じた可憐な美女とは全く不釣り合いな邦題は間違いなくファンの興味を取り込むとしてLove in the Afternoonを誇大解釈して付けたんだっと思う。今の時代ならこりゃもう配給元は考える余地もなく「ラブ・イン・ザ・アフターヌーン」としているだろう。日本語独特の表現や感性など、思考力を使う事もなくそのままカタカナ表示だ。

まあ確かにこの邦題に関しては誇大広告だしオードリーのそんな姿は想像したくもない、現に劇中フラナガン氏(G・クーパー)のセリフにも″俺はまだ一塁ベースにもたどり着いてないんだ“(キスさえもまだだの意味)と彼女との関係を告解している。この映画、監督はビリー・ワイルダーでジャンルからいけばロマンチックコメディになる、それにオードリーは親ほども年の違う紳士と恋に落ちる訳で、この映画が制作された時は劇中、父親を演じたモーリス・シェバリエ(1888年生まれ)とゲイリー・クーパー(1901年生まれ)は13歳違いである。

そう言えば”マイ・フェア・レディ”でも恋に落ちるヒギンズ教授役のレックス・ハリソンは1908年生まれで映画が撮影された頃は50代の半ばだった。

 

これは映画の終盤、フラナガン氏が列車に乗り込みパリを後にする場面だが駅の柱の陰から見守るパパ(モーリス・シェバリエ)の存在を知らず、”心配しないで、私は貴方が居なくなっても相手する男子が沢山いるの、だから寂しくないのよ、”と必死で訴える場面だ。この時、御年28歳の若きオードリー・ヘップバーンである。何回見ても自然と泣ける、、。