”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

映画の映画、、”Guilty by Suspicion”→”真実の瞬間”

この邦題もやってくれるな~、しかも”瞬間”を”とき”と読ませる。原題の直訳はそのまま”疑わしき有罪”となるのだが、、普通それを言うなら”疑わしい無実”でこの映画では”疑わしくは有罪”となる。
 
手法は良くある映画界の暴露もの、、と言うか監督なり脚本家の実話は現実にあった映画を舞台にしたりしてそれを映画にするのだがこの映画は50年代初頭の所謂赤狩りが主題である。前途有望なデイビッド・メリルと言う監督、それがマッカーシズムに揺れるハリウッドで渦中にはまり仕事からは干され家族とも離れ離れ、元妻にまてあらぬ嫌疑が被され全く理不尽な扱いを受ける、、。その新鋭監督をロバート・デ・ニーロ、奥さんにアネット・ベニング、そしてマーティン・スコセッシやらクリス・クーパーが配役を固めている。
 
イメージ 1劇中、マリリン・モンローの映画撮影風景やらダレルFザナックが実名で登場するのですっかりこのデイビッドは実在の監督だと思っていたのだがそうではなくてあくまでも架空のお話、でもモデルになっているのはジョン・ベリーと言う実在の監督である。
 
エリア・カザン監督なども当時この対象となったのは有名だが映画界では米議会の公聴会に引っ張り出されたり実刑を受けたりした関係者も多かったそうな、、。
 
この映画も原爆開発反対運動にさほど深い意味もなく参加した当人が何とも理不尽な事か十数年を経過した後にそれは米国の民主主義運動に反対したからだとばかりに議会で槍玉にあげられる。
 
その頃、一緒に集会に参加した友人の名前を議会で証言せよ、、と召喚状が送られロバート監督は苦悩する。何処に行くにもFBIが後を付け回し、ろくに就職口もない、、元妻の周囲にも不遜な空気が漂い映画界からも殆ど追放状態、、これは一種の政治スリラーである。しかもこれがアメリカ、50年代初頭の頃で事実だったのだから恐れ入る。特に映画関係者や脚本家は多少なりともその思想がコミュニスト寄りかな、、と言うだけで一般人に及ぼす影響大と判断した結果なのだろう。それが原題の”疑惑ありきは有罪”って事に繋がっている訳でこの邦題の意味するところとはチト違うような、、担当者ちゃんと最後まで見たのかな、、、。
 
ロバート・デ・ニーロを初め演技陣がしっかりしていると映画が締まる。最後まで気を緩める事もなく、ダレずに一気に見てしまった。91年制作なのでもう20年近く前だが出演者みんな若い、、、オレだってあの頃はまだ現役最盛期で家庭を顧みずバカな事に一人で会社を背負って立ってたような気分(だけ)、、だったっけ。 例えもう一度やり直しが利いたとしたら、、多分間違いなく同じ事をしてるんだろうな、、、笑って誤魔化すか。