”点と線”(07年)
原作は松本清張が1957年に書き下ろした長編推理小説だが”砂の器”はこれの三年後、1960年に発表されている。映画化されたモノとしては野村芳太郎監督による”砂の器”の足元にも及ばないが原作の面白さ、そしてアリバイ作りのアイデアに関しては甲乙は付けられない。
何方も刑事が身を粉にして少ない手掛かりを頼りに足を使い広範囲に捜査を広げて行く展開は同じだが憎むべき真犯人にはそれなりの事情があり、殺人を犯さなければならなかったという点は共通している。
一昨日見たこの”点と線”は2007年にテレ朝が開局50周年を記念して企画された記念番組だったらしい。時代背景は57年で実に見事にセットを当時のままに再現しているし街並みも当時のままに再現している。その当時の風景や走る列車を見るだけでもこりゃ一見の価値はあった。
兎も角、配役陣も殆どが知った顔だし主演の鳥飼刑事(ビートたけし)や相棒になる三原警部補(高橋克典)以下知らない若手や読めない字の俳優さんは何処にもいなかった。一部、二部とあってチョイと長いのが気になったがそれにしてもこの手の長編推理小説は誰が犯人かを知っているにも関わらず充分に楽しめるって事にも気がついた。
先の”砂の器”では丹波哲郎、森田健作の刑事コンビで二人の刑事魂と言うか執念が事件解決に繋がっていく、、此方は定年が近い博多の刑事と警視庁の警部補が図らずもコンビを組み捜査にあたる事になるのだが鳥飼刑事の執念が全く想定外だった僅か4分間の空白からアリバイ崩しに繋がり警視庁の刑事達に一泡吹かせる事になる。
まあ当時から日本のJR国鉄の時間厳守、一分たりとも遅れない運行基準があったらばこそのアリバイ工作で他国じゃ不可能な設定である。
背景にあるのは東京での1964年、オリンピック開催が決まった頃、各分野で都内の開発、整備がどんどん進んでいくなかで用地買収が大きな比重を占めていた。その産業建設省のトップに居た大臣級の汚職に絡んでいたのではと推察される部下が追及を逃れ愛人と九州で自殺したとの報告が入る。事件は将来を悲観して青酸カリを飲んでの心中と片付けられそうになるがそれに異を唱えるのが鳥飼刑事(ビートたけし)である。
そんなで所轄は自殺で済ませたいが鳥飼刑事は一人納得せずに夜行列車で東京へ行きその死んだ産業建設省の上司に事情を聞こうとする。この辺りは原作に忠実で鳥飼刑事の一徹さ、頑固さが充分に発揮されていて好き嫌いは別としてビートたけしが定年間際の田舎刑事を好演している。
色々と都内で聞き込みを進めるうちに安田交易の安田社長(柳葉敏郎)が産業建設省に一枚絡んでいる事が判る。どうやら省庁に繋がって利益を上げているような事業内容が判りその安田社長を重要参考人としたいのだが彼には鉄壁のアリバイが、、、。
配役を眺めるとこの手の記念番組らしく豪華な顔ぶれで今はもういない人たちが懐かしい顔を見せてくれていた。宇津井健、樹木希林を始め制作されてから13~14年も経過するとそりゃ時代の流れを感じさせてくれるわな、。まあしかしこのドラマは時刻表を巧く使ったトリックの代名詞的推理小説じゃなかろうか?
”悪の法則”(13年)
原題は”The Counselor”、で監督がリドリー・スコット、そして主演がマイケル・ファスベンダー、ブラッド・ピット、キャメロン・ディアス、ペネロペ・クルス、ハビエル・バルデムと何れも主役を張れる俳優さんなので見ない訳にはいかない、。
でも確か原題は記憶があるな、、それにオーストラリアじゃかなり評価が低くて敬遠したんだった気がする。この単に”法廷弁護士”を指す原題より邦題の”悪の法則”って言う方が相応しいのだが実際に内容は”麻薬カルテルの法則”って印象で”法則”と言うより”悪の掟”じゃなかろうか?
ストーリーは割と単純なんだが麻薬密輸を扱ったクライム・サスペンスとしては遠く”ボーダーライン”には及ばないしやたら格言めいた事や先人の諺などが出て来て白ける、、やっぱり公開当時、映画館へ駆け付けなくて良かったよ、。
有能で成功しているカウンセラー(M・ファースベンダー)と呼ばれる法廷弁護士の男の恋人がローラ(P・クルス)で求婚するのにダイヤの指輪をオランダまで買いに行く。見込みより高額だったが友人のライナー(J・バルデム)から申し出があったサイドビジネスでもやれば簡単に稼げると思ってしまう。
そのサイドビジネスが麻薬絡みの危険な仕事で次にブローカーのウェストリー(B・ピット)を紹介されるのだ。危険な仕事とは言っても自分が手を出して動き回る訳じゃなく資金の提供らしいのがチョイと解せない。この辺りまでは順調なんだがどうも展開がゆったりで緊迫感はまるでない、。此処までの見どころはプールサイドに寝そべったキャメロン・ディアズのおっぱいが見えるか見えないか、、だった。
そんな中で今度はライナーの愛人(キャメロン・ディアズ)が出て来るのだがこの彼女がどうやら一番のワルらしい、。そして更に実際の麻薬の取引とは、、産業汚水を積んだトラックのタンク内にドラム缶を仕込み、その中に純度の高い麻薬を仕込みメキシコから遥々シカゴまで運搬しているのだ。
そしてああなってこうなるのだが、、ちゃんと寝ずに目とアタマを全開にして鑑賞しているのだが良くワカラネー、。アイツも殺されコイツも殺され終いにはカウンセラーの恋人も拉致され、おまけに組織とのつなぎだったウェストリーも街中で殺害されてしまう。気が付くと悪女らしいキャメロン・ディアズだけが残りウェストリーの全財産をケイマン諸島の隠し口座から自分の口座へ移し替えている、。
そして終盤間際、場所はロンドンらしいが彼女の資金運用指南役が”これから何処へ行くの?”と聞くのに対して”香港にでも行くわ、、手に乗るくらいの大きさのダイヤでも十万ドル単位で動かせるしあっちなら必ず売れるでしょ?”っとか返事している。
肝心のカウンセラーは何処かメキシコか南米の薄汚れたホテルの一室で茫然自失の有様、どうやら配達されて来たDVDには拉致されていたローラの殺害現場が収録されているようだ、、理解インポッシブルの映画でした。
”ハンニバル”(01年)
原作を書いたトーマス・ハリスは時系列で行けば最初に”レッド・ドラゴン”(81年)を書いている。その後、”羊たちの沈黙”(88年)、”ハンニバル”(99年)、そして”ハンニバル・ライジング”(06年)と続いた。
でも映画化に際しては最初に”羊たちの沈黙”、”ハンニバル”、”レッド・ドラゴン”、”ハンニバル・ライジンズ”となっているのだが物語の順序からいくとこの4作目がハンニバル・レクターの幼少期を描いていて本来は最初に語られるべきものだ。何と言っても驚くのはハンニバルの叔父の妻がレディ・ムラサキと言う日本人女性なのだ。
でもまあ最初に書いた原作、そして映画化も大ヒットして世界各国から賞賛されたのが”羊たちの沈黙”だったのでストーリーは恐らく後付けで構想が練られたんだと思う。続編としての良さはあるし何せ監督がリドリー・スコットだ。でもやはりこの続編はかなり怪奇的で映画化には無理じゃないか、、と思える描写があった。それに肝心のクラリス役をジョディ・フォスターが降りてしまい代わりにジュリアン・ムーアが抜擢されている。かなり当初は印象が違うな、とは思ったもんだが再見してみればジュリアンでも充分良かったんじゃないだろうか?
主人公のハンニバルはそりゃアンソニー・ホプキンズっきゃ出来ないしこの映画でも実に不気味で頭脳明晰振りを見せてくれるのだが興行成績、それに映画としての評価は第一作を超える事はなかった。
”羊たちの沈黙”では終盤、クラリスと電話で話した後に飛行機に搭乗する様子がありどうやら背景は南米らしかった、、それがこの続編では捜査網を逃れてイタリアに住んでいる所から幕開けだ。まず中心になるのがアメリカの富豪、メイソン・ヴァージャー(ゲイリー・オールドマン)で彼は小児愛者で以前精神科医のレクター博士から治療を受けていたが大型に飼育された”野豚”のエサとして檻に放り込まれ車椅子生活、しかも全身マヒと言う障害を負わされている。とてもメイクからゲイリー・オールドマンだとは気が付かないし声だってかなり違うような、、。
そのメイソンは、ハンニバルが憎くて何とか消息を掴み復讐したい一心でFBIに自身の影響力を駆使して再度クラリスを捜査の一員に戻し彼女を監視する事でハンニバルが現れる事を待ち構えている。
その他の配役にはクラリスを良く思わない司法局のポール(レイ・リオッタ)やイタリアはフィレンツェの刑事、バッツイ(ジャンカルロ・ジャンニーニ)等が出て来るが誰もハンニバルには太刀打ち出来るもんじゃない、、トーマス・ハリスが描くところのクラスへのハンニバルの純愛心があるのだ。
案の定、映画は公開時にR-15指定になり、、オーストラリアでもR指定だったようにかなりキツイ描写が続く。まあ原作がそうなっているんだからリドリー監督と言え従わないといかんかった?前作の”羊”には及ばないがハンニバルの異様な趣味とその怪奇振りは見事に再現されている。まあしかしFBIの監視下、どんな手法でそう簡単に飛行機に乗って他の国へ行き来が出来るのか?これは最後までオレに付いて回った不思議だ。
”きみがくれた物語”(16年)
ありゃ、、これは100%邦画の邦題じゃなかろうか?原題は”The Choice"(選択肢)と至って簡単で何処にも”きみ”は出て来ない。まあしかしそのまま”チョイス”としなかった事は褒めてやりたい。でもどっちに転んでも絶対に自分からは見てないだろう、たまたま家内が収録しておいたものを”見ないならハードドライブから消して下さいよ”と言われどんな出だしかな、、となりそのまま111分固まってしまった。
その固まった出だしはある青年がノースカロライナ州のキレイな海岸線でモーターボートを走らせている。この近郊は東海岸でもかなり風光明媚な場所、多くの入り江が広がっていてアメリカじゃ有数の保養地が点在し年間を通じて気温も温暖で素晴らしい地域である。映画の内容より先ずこの舞台背景にやられた、、。
そして次の場面ではその青年トラヴィス(ベンジャミン・ウォーカー)は片手に花束を持ち病院へ入って行く、、、其処で画面は一転、過去に戻って行く。このトラヴィス君、は獣医でパパ(トム・ウィルキンソン)と二人で繁盛している獣医医院を経営しているようだ。それも川面に面した場所に家を持ち庭にはボートが繋がれている。
そんな設定で休みには仲間を呼んじゃ沖へボートで出て釣り三昧か庭でBBQ、これは幾ら日本でキムタクが主演でも叶わない舞台設定じゃなかろうか?そして隣にある貸家へ引っ越して来るのがギャビー(テリーサ・パーマー)だ。彼女は病院の看護師見習いらしいが二人は一目惚れ、それに続く二人の関係は日本とマッタク同じだ。
つまり二人には夫々付き合っているボーイフレンド、ガールフレンドがいる訳でお話は一転二転、すれ違って、思い違いをして嫉妬してとお決まりのコース。この辺りはもう次にああなってこうなるぞ、、と思うとピッタリその通りになる。オレにはストーリーを見越す能力でも備わっているんじゃなかろうか、、と疑ってしまった。
しかし日本のロマンスドラマと違うのはそこからだ、、普通は二人がゴールインでジ・エンドだがこの映画では更にそこから奥深く繋がって行く。子供も男女二人授かり同じ場所で幸せな生活を謳歌している。そしてある晩、久し振りに夫婦で外食する予定でギャビーが先にレストランへ行くのだがトラヴィスは急患が入り止む無くその処置をする事になる。その先も絶対ああなってこうなるぞ、、と思う間もなく全くその通りの事態が、、そして冒頭に戻り、トラヴィスが花を持って病院へ、、。
久しくこんなラブ・ストーリーは見てなかったがそこからもう一捻りがあって最後には又、この風光明媚なノース・カロライナのウィルミントンの海辺へ戻って行く。今度は家族4人が揃って月と散らばった数々の星たちを眺めて本当のジ・エンドでした。
原題の”チョイス”ってのは人生色々な場面で自分の進む方向を”選択”しなくてはならん、その選択が間違っている場合だってあるし後悔もあるだろう。でも信念を持ち、自分で良かれと思う方向へ足を踏み出す、それが大切な自分の指針なんだぜ、と言う訳でした。別に”きみがくれなくても”自分だって与えているんだから一方通行にするなよ、、と言うのがボクの率直な意見でした、。