よせば良いのにBSNHKで午後1時から放映開始となっていた、そして気が付いたらもう5時を過ぎて外は真っ暗だった。劇場版が244分もある超大作で当時はこんな大作が多く制作されていたっけ、、。
リアルタイム、ロードショーで見たのはブロードウェイにあった”Rivoli"と言う映画館、マッタク何がなんだか理解出来なかった、ただ流れる画面を追うだけ、それでもしっかり4時間も満席の中、寝ずに一人座っていたっけ。
それから何回かちょん切れで見ているが通して見たのは57年振りじゃないか?確かに絢爛豪華、当時は破格の制作費を掛けてクレオパトラにエリザベス・テイラーを配しマーク・アンソニーがリチャード・バートン、ジュリアス・シーザーにレックス・ハリソンと全員がイギリス人それも男優二人は舞台劇出身で固められている。
再度拝見して総体的には戦闘シーンが続くアクション大作だったと思いきやもっと内政を扱った”ロマンス映画”だった、。クレオパトラとシーザーの間に息子が居たって事も当時は判らなかったしローマとエジプトの地理的な繋がりも判らなかった、。
インターミッションを挟んで後半はマーク・アンソニーとクレオパトラが中心になって来るのだがこの辺りからこの時代の各国の繋がりが読めなくなってくる。それにローマがナニを求めていたのかが不透明で脚本の説明だけでは理解出来ない史劇になってしまった、。同時代の”ベン・ハー”とか”グラディエーター”等の史劇は実に判り易かった。
映画は主役の二人を追う事に忙しくて何故終盤になってアンソニーがローマからエジプトへ入れ込むようになるのか、そりゃ愛するクレオパトラがいるからってのは理解出来るがナンか釈然としないのだ、。
更には身動き出来ない状態へどんどん自分を追い込んでいるのか??これは脚本の出来が大きく関与しているんじゃなかろうか?地図で見るとローマとエジプト間は海路でかなり時間が掛かる、なのに映画じゃ次の場面では瞬間移動じゃないか?と思える程に時間の経過が割愛されているので度々、うん、此処は何処だ?とまごつかされる、。
もうちょっと時間の経過を画面でも表現してくれないと河を挟んで向こう岸はエジプトかぁ、、みたいで”此処は何処?”とお話か見えなくなって来るのだ。
っで最終的には悲恋の恋物語なんだがどうにも共感出来なかった。愛する人を取るか国を取るかの決断となると割が合わないのは国民だ。
終盤アンソニーがクレオパトラを相手にワンカットシーンで唐突と語る場面がある、これは流石に舞台劇出身のリチャード・バートンだと唸らせる実に見事で説得力のあるこの映画一番の山場だったんじゃなかろうか?
しかし長かった、、やっぱり家で見てても4時間超えは疲れるよ、。今度”ワンダーウーマン”で人気絶頂のガル・ガドットが新作”クレオパトラ”を演じるらしいがさてどんな絶余の美女振りを見せてくれるんだろうかちょっと楽しみだ。
でもクレオパトラってのは古代エジプト人なんだからかなり浅黒い人だったんじゃないかな?エリザベス・テーラーは多少影のあるメイクだったがやっぱり白人だしイギリス人だったよな、。チャイニーズが日本の芸者だってやるんだし、まあ難しい事は言うまい。