”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

遠くなったクリスマス

あっち(アミーバ)へ2〜3日前に投稿した記事をクリスマスも近くなって来たので此方へも拡大ロードショーする事に、、


人間なんて実に天邪鬼だぁ~、、、オーストラリアにいた時は”やっぱりクリスマスの時期は雪が降るような季節じゃないと、、気分も出ないぜ”と言っていたのが今にも雪が降りそうなこの札幌へ軟着陸してこれが3回目のクリスマス・シーズンだと言うのに今度はあっちの真夏の30度越えが羨ましい、、。

 

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まあ当時は現役真っ最中だったし暑い中での肉体労働は辛かった、毎朝起きると直ぐにクーラーを強にして敷地内の見回り、掃除、点検するだけで汗びっしょり。朝飯の後は今度はプール掃除に始まって高く伸びたヤシの木の葉っぱ落としとたわわになった実を飛び道具(先の伸びるノコギリ)を使って切り落とす、これが第二幕、それでインターミッションだがもうシャワーに入りたい気分になっていた、。

 

なのでこの寒いシーズンがその現役時代だったらかなり労働も楽だったんじゃなかろうか?、、うん、待てよオレの性格から行くと今度は寒くてやってられない、、と文句タラタラだったんだろうな。

 

そんな事を思い出したが我が家では家族が揃っていた頃はこのクリスマス・イブの24日にはデカいチキンを用意してパーティらしくテーブルを飾りケーキも買い、プレゼントも用意していた。次女の誕生日が26日って事もあってそれを兼ねていたのだが、。

 

それに年賀状の代わりじゃないがクリスマスカードを方々へ送るのがかなり煩雑で近年はEメールに移行しちまったが毎年、12月に入ると同時に手書きで業者や知人、友人そして他人だった去って行ったテナントまで、一言添えて発送していたものだ、。

 

最も若い頃はそれが年中無休のホテルマンの辛いところ、連日開かれる宴会場を使ったクリスマス・パーティに駆り出されるのでロクに家で食べる事はなかった。入場時間にお客様を先導して指定のテーブルへご案内、そして今度は終わると同時に片付けのヘルプ、給仕経験者は”お運び”もやらされた。なので夕食は社員食堂、侘しいものだった。

 

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その当時、ママに教えられていた次女が今度は自身がママになりあっちで自分の娘たちにケーキ作りを伝授しているそうだ、、そのママにオヤジとしては自転車の乗り方、ベースボールの投げ方くらいっきゃ伝授してない、、こんな幼稚園に入る前から教われば覚えるのも早いんだろうな??

 

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このコロナ禍、孫①、②には欲しがっていたモノを送っているのだがそれが船便で東海岸に陸揚げ、其処から大陸横断の旅を列車で行き2ヶ月も掛かってシアトルへ届いたそうな、、もうナニを送ったかとっくに忘れちまったが、。

 

そんなクリスマス風景ももう遠くになってしまい、今やジイさんバアさん二人っきりなのでケーキもないしプレゼントもなし(双方合意の元、大分前にやめた)、でごく普通の平日だ~、。今年の札幌はホワイト・クリスマスになるのか?そうだった、KFCさんにこの一年のお礼をするか?でも出掛ける予定はないしもうどうにでもなれ、の気分でいる。夢がないよなぁ~、。