”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

ブリスベン沖、2000mの海底で発見された船

今、我々日本人には大変居心地が悪い状況である、、。それと言うのもこの1週間ほどはオーストラリア版”タイタニック”騒動で新聞、TVが賑わっている。幸いと言うかクリスマス商戦が派手な時期なのでこれに隠れて早めにその騒動も納まって欲しいのだが、、。

それはこのブリスベンの東、沖合い17kmの海底約2000mに第二次大戦中、1943年5月14日に帝国海軍の潜水艦により魚雷攻撃を受け沈没した病院船、”センタウ”号が発見されたのである。歴史によると船は負傷者や病人を乗せニューギニアとオーストラリア間を航海中でその犠牲者の数は332人、生き残りは僅か64名であったとか、、。

現存する生き残り兵は3人、そのうちの一人が今朝から紙面を飾っている。当時20歳でキャビンで就寝中の出来事、海に放り出されて36時間後に救出されるまでの顛末が掲載されている。攻撃したのは伊ー177と言う潜水艦であるが病院船を攻撃した理由、主旨、命令など詳細は当時44年から48年の間に色々調査がなされたが結局判明せず真相は闇の中である。

その沈船が最新式ソーナーや近代設備が整ったプロのサルベージ屋さんの手によって発見されたのだからこれはビッグニュースである。日本人としてまずビックリしたのはこんなブリスベン沖まで何故日本の潜水艦が、、である。何でもシドニー港にも出没したらしいがそれは調査の為の小型潜水艇とか、しかも大きく十字架を描いた無防備、無抵抗の船舶に向けて魚雷を発射、これも初耳で今更ながらだが歴史を知らない我が身を驚くばかりである、、。

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ウィキで調べてみると艦長の氏名から戦後、オーストラリアによって戦争犯罪として裁判を起こされた経緯も記載されているが日本側の対応がイマイチ、不明である。尤もその潜水艦は44年10月3日に米国海軍の攻撃によって沈没している。しかしその伊ー177号と共にオーストラリア海域を巡航していたのが同系178と180号、都合3隻の潜水艦がこの海域を廻っていた事になる。これも遥か日本から離れた場所で何故、、と言う疑問が沸くのだが、、。

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この66年の歳月を経て発見された病院船、州政府と連邦政府が4億円の予算を投じた結果であるが引き上げ案、企画の段階で日本政府にもキャンベラの日本大使館を通じて協力の呼びかけがあったそうだが返答は無かったと言う談話が最後に掲載されている。今夜もTVニュースのトップだよ、、何とも居心地が悪い、、、誰か映画化するなんて言わないだろうな、、。

332名の犠牲者そして遺族の方々に心よりお悔やみ申し上げます。