”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

”宇宙戦争”(19年)

これはイギリスでシリーズ制作され日本ではWOWOWが配信したH・G・ウェルズが描くところのSF大作のリメイク版で合計4話で構成されている。トム・クルーズスピルバーグ版は05年に公開されているがアレは舞台がニューヨークでやたらとギャーギャーと叫ぶダコタ嬢だけが記憶に残っている。

 

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このイギリス版はBBCが主導して12億円もかけた大作と書いてあるのでしっかり録画をして置いた。舞台は原作者の故郷でそれも20世紀初頭、ロンドン南西部にあるウォーキング(架空の場所?)と言う村が舞台だ。主人公はジョージと言う新聞記者、そして不倫の果てに結婚する気になっているエイミーとジョージの兄貴がメインだ。

まあストーリーの方は3本足のトライポッドと呼ばれる火星からの侵略者で其処から放たれて地上に降り立つ4本脚のバッタみたいなヤツが人間を刺してから人肉を食ってしまうと言う強敵だ。

トライポッドの容貌はトム・クルーズ版と同じだが結末は知っているので生き残りをかけた先のジョージ、エイミー、そして兄のフレデリックの活躍振りを検証するっきゃない。しかし原題は”The War Of The Worlds"で何故かその昔、日本で翻訳された時に”宇宙戦争”となってしまった。更には戦争とは言っても人類が武器を持って立ち向かう訳でもなくこれは完全に”宇宙からの一方通行的な侵略者”なのだ。なので”世界大戦”とは微妙に違う気がするのだが1898年にこんな構想を練ってSF本として出版したH・G・ウェルズはやはり凄かった、。

結局4本を通しで一気見したが何となく最後までスッキリしなかった、、最初は田舎町への侵略が始まってジョージとエイミーがあたふたするのだがそれが次の場面では侵略された後のイギリスになっていたりエイミーにはジョージ・ジュニアーと名付けられた5歳くらいの子供がいるしママと二人はカツカツの生活振り、、意味は判るのだがこうやって現代と未来を行ったり来たりされるともう70年以上も駆使しているオレのアタマポッドが理解不能に陥ってしまう。

いっそストーリーは変えられないのだろうがもうちょっと斬新なアイデアがあっても良かったんじゃなかろか?結局地球は侵略者から逃れる事が出来ず石器時代に戻ってしまうようなエンディングはカンベンして欲しい。それを教訓として温暖化対策を急げよ、と言いたのは判るのだがこれじゃ見終わっても惨めな気分が抜けなかった。

 

 

 

 

”サハラ死の砂漠を脱出せよ”(05年) 再

原作者はクライブ・カッスラー、1931年アメリカのイリノイ州生まれなのでもう82歳になる。カリフォルニア州に永住する事になり、65年に執筆活動を開始、それが何と奥さんが警察勤めで忙しく子供の世話をし”主夫”活動の合間に書き始めたそうな、、そんな片手間で始めたのがあれよあれよ、、で出版する本は全部ベスト・セラー、、私も彼の印税収入には随分と貢献しましたよ。
 
大ヒットしたシリーズは”NUMA”(立海中海洋機関)と言う架空の政府機関を舞台にその凄腕調査部員、ダーク・ピットが活躍する息もつかせぬ海洋冒険小説になっている。言ってみればジェームズ・ボンドは英国の情報部員、此方はアメリカの海洋機関と言う違いはあるが謎を追い、極悪人と対決する図式は同じ、途中美女を窮地から救いサンデッカーと言うNUMAの長官に報告してめでたし、めでたしとなる。
 
既に73年以降20冊以上のダーク・ピット・シリーズが出版されているが何故か映画化は”サハラ”(05年)だけ。主演はダーク・ピットにマシュー・マッコナヘイ、、マッチョ振りは原作通りなんだが長年原作を読んでいると微妙にイメージが違うんだな、、それに原作はとても良かったのに結果は残念な事に、、。イアン・フレミングの原作を見事に映画化し、その後半世紀以上に渡って007を活躍させたケースとは余りにも違いが、、あり過ぎる。
 

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この”サハラ”公開された時に一番で映画館へ駆けつけたのだが、、まあ原作を読んでいなけりゃ”ああ、そうですか”で済んだもののこれは世界各国のダーク・ピットファンからお叱りを受けたのではないだろうか、、それからもう7年が経過するが続編も他の映画化の噂も出て来ない、、昨今オリジナルの原作が枯渇している時代に置いてもこの失敗には何処のプロデューサーも懲りて手を出さないのか?それとも映画化版権が異様に高額なのか、、。
 
同じアクション系のトム・クランシーの原作は引っ張りだこで次々と映画化されているのに、、ハリウッドでも不思議な事が起きるもんだ、、。
 
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このおっちゃんがクライブ・カッスラーご本人、02年頃に書かれたダーク・ピットシリーズは流石に主人公も寄る年波には勝てず、、そりゃ何時までも歳を取らない主人公でも良いのだが、、同じ名前でJrをくっつけて息子が出て来る、、それに今度はダークの娘、隠し子がハワイから出没したりでストーリーに無理が出て来た。それにダークは国会議員と結婚までしちまったし、、っで私も無理やりアマゾンさんにお願いするのは止めちまった。
 
同じようにスカーペッタおばさんもあれだけ”面白かった”(愉快と言う訳じゃなく、、)シリーズなのに突然死んだハズの恋人が現れたりしてすっかり興ざめ、、それっきりパトリシア・コーンウェルさんとも決別しちまった。
 
かように読者は気まぐれって事さ、、。
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”それでも恋するバルセロナ”(08年)

ウディ・アレン監督のラブ・コメディ(?)、最初見た時は印象的なテーマ曲が背景に流れるなかアメリカから休暇でやって来た若い仲良しのヴィッキーとクリスティーナが繰り広げる恋のさや当てがバルセロナにとても良くマッチしていると思った、。それに監督も割と判りやすい題材を丁寧に描いてウッディ監督作品の中ではトップスリーに入ると思ったものだが、、。

 

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個人的にはスカーレット・ヨハンソンは少ない苦手女優さんだ、、此処ではクリスティーナ役で自由奔放、余り節操のない性格でのっけからバルセロナじゃスペイン男に抱かれてみたい、、などと公言している。一方のヴィッキーは(レベッカ・ホール)は婚約中、ごく真面目な性格でしっかりと将来設計を立てている。

その二人の前に現れるのがこれ又、自由を謳歌している画家のファン・アントニオ(ハビエル・バルデム)だ。たまたま二人が出掛けたレストランで出会いいきなりベッドへ誘うようなヤツなんだがそんな積極的なスペイン男に会う事が目的だったクリスティーナには願ったりの相手だ。

脚本もウッディ監督が書いているのでこの辺りの下心は恐らく監督自身のものじゃなかろうか?最初に見た時はそんな事は感じなかったのだが今回10年振りくらいに再見してこんなところがウッディ・アレン監督はオレには合わないんだと気が付いた。それに演じているクリスティーナだって日本風に言えばこんな尻軽っぽいノリはどうも共感出来ないのだ。無論、映画の中での事なんだがそんな役を演じさせると言う事はイメージ的にはピッタリ合うからじゃなかろうか?

映画の方はその二人が最初はヴィッキー、、そして今度はクリスティーナへとファン・アントニオはやりたい放題、、でも其処へ元妻のマリア(ペネロペ・クルズ)がやって来てドロドロの泥試合になって行く、。その女性三人とファン・アントニオの絡み合い、、こんな映画はウッディ監督にはお手の物なんだろう。オワリ、、、。

 

 

 

”暗くなるまで待って”(67年)

日本国内で公開されたのが1968年と米国公開から半年も後の事だった。ヒッチコック監督の”鳥”は1963年の映画で東京は丸の内にあった旧ピカデリーで公開されているが此方はその5年後に同じ松竹ピカデリーで公開された。

 

 

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wait until dark

オードリー・ヘップバーンがまさにアラサーど真ん中の頃だった。時系列でみると”ティファニーで朝食を”(61年)、”シャレード”(63年)、”マイ・フェア・レディ”64年)の後で初めて盲目の人妻を演じている。ジャンルとしてはミステリーだが完全に舞台劇と言う雰囲気で”裏窓”と同じでカメラは殆ど外へ出ない。舞台はニューヨークのアパート内、それも地上階から下がった”半地下”である。

プロデューサーは夫のメル・ファーラーで彼がワーナーブラザース社と交渉し監督にテレンス・ヤングを抜擢している。興行的にはそれ程ヒットした訳じゃないようだがオードリーはアカデミー賞の主演女優を始め色々な賞でノミネートされ高い評価を受ける事になった。

映画の背景は麻薬の密輸に関するもので冒頭、ある女性がカナダから空路ニューヨークへやって来る。大切に身に着けているのはオルゴール仕掛けのある人形だ。しかしその内部には小袋に分けた麻薬が忍ばせてある。そして空港へ降りたった女性は怪しい雰囲気のハリー(A・ラーキン)に出迎えられるが直前に同じ乗客だった紳士、サム(エフレム・ジンバリストJr)に人形を押し付けて去ってしまう。

場面は一転してあるアパートの室内、其処へやって来るのがマイクとカルリーノの二人組、そして遅れてやって来るのがハリーでどうやら三人はこれが初対面らしい。ハリーはこの二人は刑務所仲間でどうやら仕事を斡旋しようとしている。それは人形を探す事だが見ている方はこの時点で先のサムが持って行った筈の人形の所在が判らない。

その人形を押し付けられたサムはプロの写真家でスージー(O・ヘップバーン)の夫でもある。止む無く人形を抱えてアパートへ帰って来るのだがトンボ返りで又、出掛けなくてはならない。そして登場するのが上階に住み、普段目の不自由なスージーを助けてくれるグロリアだ。サムが出掛ける間際にやって来て買い物やら家庭内で必要な事を手伝うと申し出てくれるのだがサムがテーブルに放り出してあった人形が気に入ってしまいスージーには内緒で自室へ持ち帰ってしまう。

そんな展開で今度はいよいよ悪党ども三人組がやって来る。首謀者はハリー(アラン・アーキン)、マイク(リチャード・クレナ)、そして元警官のカルリーノ(ジャック・ウェストン)たちでこの辺りから脚本の良さが光り出す。スージーの目が不自由な事からあの手この手を使い人形が何処に隠されているのか探るのだがそれはスージーにも判らないのだ、、。

一時、マイクはサムの友人と言う触れ込みでスージーの元へ現れるのだが人形の所在は判らない、、次に警官としてやって来るカルリーノ、そして色々な役を演じる為に変装してやって来るハリーも聞き出す事が出来ない。

この彼ら三人を相手にするスージーの対決が実に見応えがある。途中でグロリアがスージーには内緒で持ち帰った人形を見付けそれを手探りで隠し、三悪人と対峙する事になるのだがスージーにはまだこの人形に麻薬が隠されている事が判らない。一人マイクとは親密になりかけるのだが、、。そしてクライマックスの”真っ暗闇での対決”となって行く。

テレンス・ヤング監督は007シリーズで人気を博した監督だ、それにアクションものが多いのだがサスペンスを盛り上げる方法はバツグンに巧い、ただこの密室ミステリーをヒッチコックが監督をしていたらどうなっていたんだろうか??と思うと寝られなかった、。

 

 

”The Informer / 三秒間の死角”(19年)

劇場公開されているらしいが2019年の犯罪映画で2009年に”三秒間の死角”として原作が発表されている。主演はジョエル・キナマンロザムンド・パイク、それにクライブ・オーエン等で監督はアンドレア・デイ・ステファノと言うらしい。

出だしはニューヨーク、その倉庫街の一角でピート(J・キナマン)がポーランド系悪党集団が関与した麻薬取引の場面で始まる。買い付け側の悪党がピートが質問した刑務所に収容されているハズの悪党の名前を間違えた事からこれは囮捜査の警察官だと見破られピートの仲間が撃ち殺してしまう。

 

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ピート自身は殺人容疑で14年だかの刑務所暮らしだったが4年が経過した時にFBIの捜査で麻薬組織壊滅に協力すれば残りの年月は仮釈放してやるとエリカ(R・パイク)に促されその取引現場に居たって事が判る。

別にピートが潜入捜査をしていた刑事を殺した訳じゃないのだが”将軍”と呼ばれるポーランド人のボスは”オマエがやった事にして刑務所へ4~5年戻ってくれ”と命令するのだ。そして刑務所内で看守絡みで構築している麻薬の売買取引を自分たちのモノにしようと企てる。女房、子供もいるピートには辛いお勤めだがFBIのエリカとも相談し奥さんに家庭内DVを奮った容疑で逮捕される。

この刑務所へ戻るところまではかなり良く出来ている。緊迫感もあるしまあ珍しいポーランドの麻薬組織だがロシアン・マフィアにも負けないくらいの組織力だ。そしてエリカの上司となるFBIの局長だがコイツがうさん臭いのだ。モンゴメリー(C・オーエン)が演じているが完全に上昇志向で出世の為なら荒っぽい事もいとわない。更に殺されたロス市警にいるグレンズ(コモン)は部下が殺されたのはFBIが関与していてピートは実行犯じゃないのでは、、と気が付く。

そして刑務所内のピートと悪人看守、塀の外じゃFBIと対峙するLAPDを交えてクライマックスへ、。最後まで副題の”三秒間の死角”って意味が判らなかったがその三秒で狙撃犯に刑務所にいる悪人看守を狙って撃つと言う意味でした。余りストーリーの重要性から言って大事な狙撃でもないような気がするんだが、。

ピートは果たして警官殺しの容疑が晴れるのか?、そして麻薬組織は?、刑務所内の売買は?と最後の最後まで引っ張られるクライム・アクションでした。まあレンタルDVDで日曜の夕方見るには最適な一本でした。