”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

”メンフィス・ベル”(90年)

このイギリス映画は長い事見たいと思っていたのだがなかなか実現出来なかった。イギリス映画とは言ってもその内容はアメリカからやって来てロンドン郊外に駐屯している爆撃機の乗員10名を描いた戦争モノだ。

タイトルの”メンフィス・ベル”こうやって書かれると誰だってこりゃ”鐘”だと思うのだが原題は”Memphis Belle”なのだ。従ってコイツは”ベル=鐘”じゃなくて”Belle=可愛いお嬢さん”なのだ。”メンフィス”はアメリカ南部テネシー州の街なので乗員たちが故郷を思って愛機に付けた名称って事になる。”メンフィスの鐘”と”メンフィスのめんこいお嬢さん”では大分意味が違うよなぁ~、。

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映画の背景は43年、第二次大戦の真っ最中でイギリスにある爆撃機基地からドイツの各都市へ昼間に爆撃敢行をする事になった”メンフィス・ベル”と一連の爆撃師団機を描いた実話である。

映画は既に24回も出撃し無事に帰還している”メンフィス・ベル”の乗組員たちが紹介され次の25回目の爆撃任務が終われば晴れて英雄として故郷へ凱旋出来る、、そんな出だしで始まる。その最後の任務とはドイツ領内深くブレーメンまで飛び敵の軍事施設にある航空機基地を爆撃して来る事なのだが軍部には別の思惑が、、。広報担当の大佐はこの10人の乗務員を使い軍部内の意気高揚を狙っているのだ。彼らを英雄扱いし故郷へ凱旋させる、それを戦争戦略の一環としたいのだが其処には戦死してしまった若者や親族の気持ちを踏みにじるような行為や言動が見受けられる。

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これがホンモノの10人の乗組員、何せ爆撃機なので操縦士、副操縦士以下、航空士、爆撃士、無線士に銃座に着く機銃士とチームを組まないと出撃が出来ない。戦闘機なら操縦士の一人だけで出撃出来るがこの爆撃機の場合、そりゃ破壊力はあっても空中で撃墜されれば10名全員が命の危険に晒される。

劇中で彼ら10人の上官を務めるハリマン大佐(デイビット・ストラザーン)と広報官として相対するデリンジャー大佐(ジョン・リスゴー)の場面がこの映画の全てを語っている。あくまで彼ら10名の活躍を派手に報道し戦意を高めたいデリンジャー大佐だがハリマン大佐が真っ向からそのなりふり構わない広報手段に異議を唱える。

それを言葉で説明しても議論は噛み合わない、そこでハリマン大佐はデスクに大切に保管してあった戦禍に散って行った息子たちを忍んで書き送って来た彼ら両親や兄弟、恋人、親族達からの手紙を見せるのだ、、。名場面と言う訳じゃないのだがこの二人の大佐が対立する場面、そしてそれらの手紙を読むデリンジャー大佐の表情の変化にこの映画が言わんとしている反戦メッセージが込められているような気がする。

 

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戦争はいかんよ~、、っとこの時代に語られそれも80年が経過している。そんなに時間を経てもこの地球上(かなり日本にも近い距離でも)何処かで毎日殺戮が繰り返されているのだ。人間なにをどうあがいても何れ死ぬ運命だと言うのにそれを早める必要があるんだろうか??アッラーの神様だって殺し合いを容認しているようには思えないのだが、それを神の名のもとにって爆弾を抱えて何の罪もない人達を巻き込んで行く。不可解な世の中は先の大戦が終わってもちっとも変っていない。