”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

懐かしのプラッツバーグ

ブログタイトルが”オールド・シネマ・パラダイス”だったので今度は”オールド・シティ・パラダイス”をシリーズ化してみよう、。その第一弾が”懐かしのプラッツバーグ”だ。英語で書くと Plattsburgh 、ニューヨーク市から北へ約600キロ程行った完全なる(当時は)田舎町だ。

確か当時の人口は2000人程度じゃなかったか?でも近所に米空軍の基地があり駐屯している兵士は多かった記憶がある。そんな町でも市内の目抜き通りには映画館が2軒あったしカフェやバーも林立していた。映画でいくとモロ100%、”アメリカン・グラフィティ”の世界で毎週末はあれとそっくり同じ光景が繰り広げられていた。

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これは唯一ある目抜き通りの一角でこの右側に映画館が一軒あった。カナダのモントリオールに近く(車で30分程度)街中にはフランス語の表示があったり店舗でも堂々とフランス語がまかり通っていたものだ。

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建物の雰囲気は当時のまま、、ちっとも変っていない。これは多くが歴史的建造物に指定されている結果だと思うのだが派手な看板や広告塔もなく電線だってありゃしない、、確か60年代後半には全部地中に埋められていたんじゃなかろうか?この”小ぎれいさ”は是非日本でも真似て欲しいのだが、、札幌の街中でこんなスチールを撮るとそりゃもう旗がなびいているしドでかい看板や派手な広告がひしめき合っている。余りに多くて肝心な表示を見逃す事だってあるのだ、、。

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そしてコヤツが今回のメインイベント、、我が母校だ。この一番上の5階部分がぶち抜きで寄宿舎になっていて(男子校)3階部分は立派な教会だった。ステンドグラスと立派な祭壇、それにパイプオルガンも設置されていて恐らく現在は結婚式だって執り行う事だって可能じゃないだろうか?正統派ローマンカソリック校で校長以下全員が教会支部から派遣されて来た教徒だった。

当時既に開校されて100年以上が経過しているとか聞いたのでその歴史は古い、でも後年、校名も変わり校舎はそのままで男女共学校として再デビューしたと聞く。

兎に角冬は寒かった、、雪はそんなに降らなかったが体感温度は札幌より断然寒かった、、何せ下級生が校庭に仕切り塀を立ててホースで水を撒くのだ、すると翌朝は立派なスケートリンクに変身、。冬のスポーツとしてホッケーが盛んだったのでこれは無くてはならぬ設備だった。

まあそんな環境で気が付けばワタシは初の日本人生徒として花の青春時代、15から19歳までをこんな田舎町で過ごしてしまったのだ、。

その後、一度だけ立ち寄る事が出来たのがそれももう30年以上昔の事で懐かしさいっぱいで校舎や街中を散策したっけ、。