”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

”新日本風土記 ハワイ”

2004年の制作当時、ギリシャでは過去最高の制作費を掛けて撮られた映画としてその完成度も評価も実に高かった、何よりワタシがこよなく愛する一本となったし公開当時にDVDも探し出して入手した。その原題は”Nyfes” (Brides)と言って背景は1922年、ギリシャの貧しい寒村から葉書と写真一枚を胸に遥々大西洋を渡って会ったこともない相手が待つニューヨークへ嫁いで行った花嫁たちの物語だ。

それとそっくり同じ事がもっと身近に起きていた。時代はちょっと違うのだが明治元年(1886年)、この日本から遠く太平洋を渡りハワイへやはり写真と葉書一枚を手に渡った153名の日本女子たちがハワイの日系文化の礎となっていたのです。

 

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↑ ヒロの港を見下ろす


既に18年にBSNHKで公開されているドキュメンタリー番組だがそのシリーズ1、2話が自動的に収録されていた。既にハワイに定住していた男性軍に嫁いだり自身が移民者として過酷なサトウキビ畑の労働に励んだりと様々な生き方をされているのだが番組ではホノルルのあるオアフ島ではなくキラウェア火山のあるハワイ島、ヒロの街を中心に彼ら”明治元年組”の祖先が紹介されていた。

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↑ ハワイ島、ヒロの古い町並み


1900年当時はあの小さな街に2万人以上の日系人が暮らしていたそうだ。最盛期にはハワイの人口の4割近くが日系人だったそうだが現在は1割程度とか、その分観光で日本からやって来る人達は年々増加の一途、今年も新たにJALやANAが大型機材を投入するらしい、。

この100年以上になる移住者の歴史から現在では二世、三世、、それにもう四世だっている訳だが放送ではヒロの街で代々受け継がられて行くホテル、食堂、それに日本庭園やその他建造物までが紹介されている。確かこれは別の機会に知ったのだがあの独特のハワイ製、アロハシャツはこの時代に日系人が発案して重宝がられ今や列記とした”正装用シャツ”として公認されるに至ったんじゃなかろうか? 

このハワイ島、ヒロは島の東海岸にあるのだが西側では80年代半ばからアメリカ本土資本による大開発が盛んだった。無論今もホノルルを離れてもっと静かに過ごしたいと言う来島者で年間を通じて賑わっている。オーストラリアへ渡った当時、開発されたリゾートホテルを見学しに行った事はあるがそれからもう30年近くが経過している、、次回はホノルルは止めてこんなヒロも良いかな??孫達には内緒って訳にはいかんだろうが、そうは言ってももう年金暮らしの爺さん婆さんがスポンサーになるのはムリだ、。

この”日本風土記”では先のギリシャ船籍アメリカへ渡った700人からの花嫁候補さんとは大分様相が違いロマンス編は一切なかったがこれが現実なんだろうか?それともNHKさん、そこまで突っ込まなかった??さもありなん、それは又、別の機会か?