”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

プーケット危機一髪

あんときゃ焦った、、まあ結果論だがタイのプーケット。年末に大津波が襲ったのと同じ年にプーケットの海岸にいたんだった。正式にはその後、”スマトラ島沖地震”と命名された2004年12月26日の地震津波だがその僅か4ヵ月前に現地にいた。

 

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JW マリオットの夜景(津波で大きく被害を受けたが後年再建された)

 

高校を卒業してそのまま日本へ帰国した次女が転職を機に一週間ばかり休みが取れた。日本から一人で海のあるリゾートへ行く、、と言ってタイ行きを計画していた、危なくないとは思ったが単身で行かせるのはどうもイヤだったので(当時はリーアム・ニーソンの”96時間”は企画もされてなかった)我々がオーストラリアから飛んで合流するべぇ~、、と親バカぶりを丸出しに、。

娘もちゃっかりしたもので最初は一人で行くんだからバックパック旅行よ、、と言ってたのだが我々が行くならもっと立派なホテルが良いって話に落ち着いて竣工したばかりの”プーケット・マリオット”のスイートを予約した。

この辺りはナオミ・ワッツ主演映画の”インポッシブル”(12年)の背景になっているし実際に起きたデザスターを描いたスペイン映画として衝撃的な作品に仕上がっている。そのプロットは、、;

クリスマス休暇をビーチ・リゾートで過ごすため、マリア(N・ワッツ)と夫のヘンリー(ユアン・マクレガー)は、3人の息子を連れタイのカオラックを訪れる。

リゾートを満喫するはずが、クリスマスの翌日、このスマトラ沖地震に伴う未曾有の津波に巻き込まれる。一瞬にして津波にのみ込まれ、皆生き延びたものの、マリアは重症を負い、離散した家族はそれぞれの無事を祈りつつ再会に向けて歩み始める。

と言う感動作だったがチョイとその後トラウマになっている描写があって余り思い出したくない。

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幸い我が家はこんなデザスターには見舞われなかったのだが、、当時はまだ管理人業などと言う職種の存在さえも知らなかった。オーストラリアから細々と日本向けの輸出を手掛けていて丁度このプーケットへ行っていた時期にタイミング悪く、日本へ輸出する物品の動物検疫証明とか原産地証明の提示を求められてしまった。

まだラップトップPCを持ち歩く環境じゃなかったしホテル内は何処に行ってもWi-Fiが完備している訳じゃない、、ロビーにあるビジネスセンターに固定されたパソコンが数台あり時間単位で課金される仕組みだった。コレは想定外だった、、家内と次女はこれ幸いとばかり買い物、食事と大いにエンジョイしていたのだがこっちは行き先々でネットカフェ(全盛期だった)を探しちゃ飛び込んでオーストラリア、東京、大阪、とやり合う羽目になってしまった。結局一度も水着に着替える事もなくあちこちのネットカフェとタイマッサージ巡りに終始した。

止む無くホテルで捕まえたタクシーのおっちゃん(片言の英語が出来た)を終日貸切って何処へ行くのにもお世話になった。おっちゃんも街を流す必要はないし炎天下空港内のタクシースタンドで何時間も待機する必要がなくなりシアワセそうな顔をしてたっけ、。

そんなで一週間、ホテルは大満足だったし何処へ行っても食事は美味い、バンコクは何度か行っているがこんな馴染みのない街で足の心配がないのは精神衛生上心地良かった、、そんなある晩、目抜き通りの土産物屋で買い物をしたがそのチャイニーズのねいちゃん、、ワタシの容姿を見て”アンタ絶対日本人じゃないよ。中国人よ。”と言い募り人の言うことを全く信じてくれない。

幾らオレはちゃう、ちゃうと突っぱねても”じゃあお父さんかお母さんは満州出身でしょ?”っと言い出してキリがない。パスポートを見ても”ワタシ信じないよ”だった、。別にぼったくられた訳でも不良品を押し付けられた訳でもないのだが、これには参ったよ。帰る頃にはこっちが半ば信じ始めていたっけ、。思えば当時、今劇場で公開されているじゃないかと言う映画がDVDになって格安で売られていた、ありゃ完全に海賊版だ。

そんな16年前のプーケット旅行、娘の誕生日に合わせていたらドンぴしゃり、先の映画、実録”インポッシブル”になっていたんだ、くわばらくわばら。