原題は”The Gunfighter”、今なら間違いなく邦題は”ガンファイター”だと思うが何せ制作されたのは1950年、そうなるとやっぱり”拳銃王”か?
主演は役柄と殆ど同じ35歳と若い頃のグレゴリー・ペックで主演のジミー・リンゴを演じている。監督はヘンリー・キング、映画の背景は1880年代で映画が撮影された70年前から逆算すると僅かその70年前の事だ。その頃はまだ皆さん腰に拳銃をぶら下げて真昼の決闘を演じていたって事に事実として驚かされる。
劇中のセリフに何度となく西部一の早撃ちはワイアット・アープか、ジミー・リンゴか?と出るのでやはり”OK牧場”のワイアットは早かったんだろうか?それと此処ではジミーになっているがリンゴ・キッドはやはり実在したようだ。映画”駅馬車”でジョン・ウェインが演じていたキャラクターなんだが制作されたのは39年でこの映画より11年も前の事になる。
映画は西部劇とは言ってもそんなに派手な撃ち合いがある訳じゃない、むしろ図らずも”早打ち王”とし崇められてしまったジミー(G・ペック)の揺れ動く内面を見事に捉えた人間ドラマに仕上がっていた。
冒頭、ある西部の町の酒場、ジミーがウィスキーをあおっているとアホな若者がジミーの名声を聞きいちゃもんをつけて来る。ジミーは関わりたくないのだが執拗に嫌味な問答を強いて自分から腰の拳銃へ、、周りの人は全員その現場を見ている訳でその若者が悪い、、とは判っちゃいるのだがその撃ち殺された若者の兄弟3人は”オラの大切な弟を無残に殺された”と理不尽にも復讐するべくジミーの後を追う、、。
そんなシーンが一転、追いかけていたハズの3兄弟はあっさりとジミーに待ち伏せされ丸腰に、そして馬は追いやられナニもない荒野に放り出されてしまう。最寄りの町まで徒歩で3時間は掛かると言い残されジミーはさっさと馬上の人に、。この3時間ってのが後半、実に見事に生きて来る。
ジミーはその近所の町へ向かうのだがそこには親友で尚且つ昔の仲間だった保安官がいる。そして彼の最終目的地には別れた奥さんと8歳半になる男の子が住んでいるのだ。その辺の脚本と演出が見事でこのジミーの過去、そして今回、何故別れた妻子に会いに来たのかが説明される。しかし町じゃこの西部一の早撃ちジミーを一目見ようとバーには大勢の町民が押し寄せて来てしまう。
保安官は今では名前を変えて学校の先生になっている元妻をそっとしておいてやれと諭すのだがジミーはどうしても奥さんと息子に一目会いたい、、そこで先の3時間が大きな意味を持って来る。例の3人組が徒歩で近くの町へ入り更にジミーに追いつくにはそのくらい時間が掛かるのだ。
保安官そして昔、酒場で歌っていた知り合いの歌手とが奥さんを説得しに行くのだが奥さんは頑なにもうジミーとは会わないと言い張る。それがリアルタイムで兄弟3人がやって来る時間とダブって緊張感が高まるのだ。
この時代の西部劇、決して全てがハッピーエンディングじゃないケースが多いのだがこの映画でも同様、性懲りもなくそんな背景やジミーの置かれた立場に関係なくこの町でもアホな若者が名手ジミーに撃ち勝ちたい一心で無謀な仕掛けを挑んで来るのだ。
イヤ~、、この時代の映画はアクションや銃撃戦で見せるだけじゃなくて人間の本質に迫る不思議な魅力がある。映画が公開されてから70年が経過しても人間の本質はちっとも変っちゃいないんだ。ナニそんな古いモノクロの映画を見ているんですか?と言われても人間ドラマとしてたまたまそれが西部劇の時代だったと言うだけで最後まで大満足出来る映画でした、、、。