”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

”リバティ・バランスを射った男”(62年)

これはジョン・フォード監督とジョン・ウェインがコンビを組んだ数多い西部劇の中でもかなり上位にランクされる名作だ。日本でもアメリカでの公開後、僅か数か月後に公開されたモノクロ映画でタイトルからドンパチを想像すると肩透かしを受ける。確かに公開されて有楽町の日比谷劇場へ駆け付けたが”活劇シーン”はないしインディアンも出て来ない、、それに駅馬車チェースだってないし決闘場面だってありゃしない、何となく拍子抜けして帰って来た記憶がある。

 

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でも劇中お披露目されなかったジーン・ピットニーが歌う、”The Man Who Shot Liberty Valance”と言う曲が深夜放送で大ヒットして後日、ドーナツ盤を買って来た事も覚えている。

その劇場観戦から60年近くが経過してその間、何回かはテレビで見ていると思うがちゃんと最初から最後まで見たのは60年振りかも知れない。そして当時の中学生にはとうてい理解しようもなかったこの映画の本筋をはっきりと認識する事が出来たのだ。

映画では冒頭、長距離列車に乗ってランスと言う上院議員(ジェームス・スチュワート)が奥さんのハリー(ヴェラ・マイルズ)を伴って25年振りに西部の町へやって来る。そのランス上院議員は次期副大統領候補と目されるような要人で町の小さな新聞社では記者を派遣して独占インタビューを試みる。そして機嫌よくインタビューに応じる形で25年前にこの町で起きた事が語られると言う当時としては珍しい構成だ。

その来訪の一番の目的はある男の葬式に出席する事で男の名前はトム・ドニファン(ジョン・ウェイン)とインタビュアーに答える、、英語のセリフではどうやって聞いてもドノヴァンと聞こえるのだがスペルを確かめたら Doniphonとなっている、、なので字幕ではドニファンとしたようだ、、でも最後の最後まで気になって落ち着かなかった。

時代背景はその列車が到着した町には電柱があり電線が通っているし電話もあるのでもう腰に拳銃をぶら下げている住民はいないようだ、。25年前には皆さんホルスターに拳銃だったのでこの25年で西部の町もかなり様変わりしたし恐らく東部では自動車が動き出すような大きな変革の時期であったように思える。この変革もこの映画では重要なポイントである事が終盤判って来る。

そして昔の名残である駅馬車とトムの棺が隣の部屋に置かれた待合室で記者からのインタビュー形式でランス上院議員の過去が語られて行く。

その当時はまだ弁護士見習い書士として勉強中だったランスは駅馬車でこの町へやって来た。ところが町外れで4人組の強盗に襲われ所持金一切をリバティ・バランス(リー・マービン)と言う極悪非道の暴漢に奪われ自身も瀕死の重傷を負ってしまう。その現場をたまたま通り掛かったトムに助けられ食堂で働くトムの婚約者、ハリーが居る家に運び込まれる。

それから数週間が経過しランスはハリーが働く食堂で皿洗いをしながら勉学に励む事になる。リバティ・バランスとその仲間達は憎くてもハリーは知能派だ、暴力に訴えるでなく正式に法的な手続きを経て彼らを逮捕する事は出来ないのか、、そんな彼の弁護士としての姿と当時はまだ腕づくで何でも思い通りに事を進めていた”西部の法律”とが噛み合わない。

そんな町でもリバティ・バランスには手を焼いている、保安官とて立ち向かう事が出来ずに彼らのやりたい放題、駅馬車襲撃にしても”俺達じゃない、証人でもいるのか?”と開き直る始末でランスが”俺がお前らに襲われた”と言っても意に介さない。

更にはこの小さな町では農場改革を掲げる住民と大農場地主保護推進派との対立が激しくなり民主政治設立の動きが始動し始める。町民たちはランス弁護士を自分たちの代弁者として議会へ繰り込むべく町の住民間で可否を採決する事態になる。それに異を唱える連中はリバティ・バランスを推し彼らの対決が個人的なモノから民主主義の根幹に関わる騒動に発展して行くのだ。

この終盤へ差し掛かる場面はアメリカの議会創設はかくあるべきか、、或いはどうしてそうなったのか、と西部劇ではあるが実に奥が深いジョン・フォードならではの演出になっている。

この辺りのストーリー・テリングは興味深くランス弁護士見習いが町民をまとめて一致団結する様子は近代アメリカ議会に於いても国会議員には最重要な役目だと認識させられる。そんな中でいよいよクライマックスとなり否応なしにランスは自分の力でリバティ・バランスに対峙する事を決意するのでありました、、。

そして最後に真相を語るランスの言葉に頷いて、会見が終わるのだが記者がメモしたノートを編集長は破り捨て、傍にあった暖炉へ投げ入れてしまう。その編集長曰く、”大衆は伝説を大事にしているんだ”と言い残すのだがランスが語った真実は大衆の目に触れる事はないのである。

即ち、最後にランスがリバティを射殺した事で公僕である自身の手は血に染まっていると苦悩していたランスだが真相は暗闇からリバティ・バランスを狙い撃ったのはトム・ドニフォンだったのだ、、ああ、これじゃネタバレじゃないのか?ともあれ実に素晴らしい”西部劇”でした。

日本じゃトム・クルーズの”ラスト・サムライ”はバツグンの人気らしいがこの映画はアメリカ版で最後の西部男、”ラスト・ガンスリンガー”でも良さそうだ。そんな時代変革を感じさせてくれた。